この点について正面から論じた最高裁判決はありませんが、【最高裁昭和57年4月1日判決】は、重い肺結核に罹患した人物が、1年前の定期健康診断のレントゲン画像で既に結核罹患を示す陰影が写っていたとして国家賠償を請求した事案で、傍論の括弧書きで、下記のとおり述べています。

多数者に対して集団的に行われるレントゲン検診における若干の過誤をもつて直ちに対象者に対する担当医師の不法行為の成立を認めるべきかどうかには問題があるが、この点は暫く措く。」

 

【東京高裁平成10年2月26日判決】
Aは昭和62年11月肺癌による呼吸不全で死亡。Aは社内定期健康診断で胸部レントゲン撮影を受けていたが、昭和61年9月のレントゲン撮影では異常なしとされ、昭和62年6月のレントゲン撮影では異常陰影が認められたが、医師は精密検査を指示しなかった。遺族が訴訟提起。

原審(東京地裁平成7年11月30日判決)は、昭和61年9月の異常なしの判断には医師に過失なしとし、昭和62年6月のレントゲン撮影で精密検査を指示しなかったことについては医師の過失を認めたが、Aの延命利益の喪失との間に相当因果関係なしとして請求を棄却。遺族は控訴したが、上記東京高裁判決も下記のとおり述べて控訴を棄却。

「債務下履行又は不法行為をもって問われる医師の注意義務の基準となるべきものは、当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準であって、定期健康診断におけるレントゲン読影医の注意義務の水準としては、これを行う一般臨床医の医療水準をもって判断せざるをえないというべきであり、このことは、被控訴人Bがレントゲン写真の読影につき豊富な経験を有していたとしても異ならない」

定期健康診断は、一定の病気の発見を目的とする検診や何らかの疾患かあると推認される患者について具体的な疾病を発見するために行われる精密検査とは異なり、企業等に所属する多数の者を対象にして異常の有無を確認するために実施されるものであり、したがって、そこにおいて撮影された大量のレントゲン写真を短時間に読影するものであることを考慮すれば、その中から異常の有無を識別するために医師に課せられる注意義務の程度にはおのずと限界があるというべきである。したがって、被控訴人Bが本件レントゲン写真につき「異常なし」と診断したことに、過失を認めることはできない。

 

【仙台地裁平成8年12月16日判決】
Aは平成2年に肺癌と診断され、翌年死亡。Aは昭和63年、平成元年に集団検診を受診し、胸部レントゲン撮影を受け、両年ともAのフィルムには腫瘍の可能性のある陰影が写っていたが、読影を担当した医師はいずれも陰影を異常と判断しなかった。遺族が訴訟提起。判決は以下のとおり述べて請求を棄却。

「一般に多数の受診者を対象とした集団検診においては、多数の胸部間接フィルムを、短時間に流れ作業的に読影するのが普通であり、読影者の疲労や経験による影響を受けることは否定し得ない。被告の依頼する読影担当の医師も一時間で約四〇〇枚の胸部間接フィルムを流れ作業的に読影していた。また、透過性が悪いとか、撮影方向が斜位であるとかいった撮影条件に問題があるケースにおいても一般には撮り直しができず、与えられたフィルムを読影するしかない。さらに胸部間接フィルムの読影は、数字で示される臨床検査と異なり、正常範囲に極めてばらつきのある、正常と異常の境界の設定が困難な検査である点も指摘されなければならない。」

「本件で問題になっているのは、政策的な意味合いにおける集団検診のあり方ではなく、集団検診におけるレントゲンフィルムを読影する医師の注意義務の有無である。そして、人の生命及び健康を管理すべき業務(医業)に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるのであるが(最高裁昭和三一年(オ)第一〇六五号同三六年二月一六日第一小法廷判決・民集一五巻二号二四四頁)、具体的な個々の案件において、債務不履行又は不法行為をもって問われる医師の注意義務の基準となるべきものは、一般的には診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である(最高裁昭和五四年(オ)第一三八六号同五七年三月三〇日第三小法廷判決・裁判集民事一三五号五六三頁、最高裁昭和五七年(オ)第一一二七号同六三年一月一九日第三小法廷判決・裁判集民事一五三号一七頁)。したがって、被告読影担当医師らの過失の存否を判断するに、しては、1で説示したように、問診ができず、年齢、病歴等の受診者に関する参考資料もない状態で、当該レントゲンフィルムの読影のみで正常か異常かを判断しなければならず、当初から比較読影を行うことは集団検診の時間的・経済的制約から望むことはできず、比較的短時間に多数のレントゲンフィルムを流れ作業的に読影しなければならず、個別検診と異なり右のような諸条件の下で前述の感受性と特異性の問題を考慮しなから読影しなければならないという集団検診の制約と限界を前提に考えざるを得ないのである。そうであれば、集団検診におけるレントゲン写真を読影する医師に課せられる注意義務は、一定の疾患があると疑われる患者について、具体的な疾患を発見するために行われる精密検査の際に医師に要求される注意義務とは、自ずから異なるというべきであって前者については、通常の集団検診における感度、特異度及び正確度を前提として読影判断した場合に、当該陰影を異常と認めないことに医学的な根拠がなく、これを異常と認めるべきことにつき読影する医師によって判断に差異が生ずる余地がないものは、異常陰影として比較読影に回し、再読影して再検査に付するかどうかを検討すべき注意義務があるけれども、これに該当しないものを異常陰影として比較読影に回すかどうかは、読影を担当した医師の判断に委ねられており、それをしなかったからといって直ちに読影判断につき過失があったとはいえないものと解するのが相当である。 ・・読影担当医師らが平成元年フィルムについて読影時に異常なしと診断したことがその課せられた注意義務を怠ったものとはいうことができず、この点につき過失は認められない。」

 

上記仙台地裁判決は、集団検診における読影担当医師の過失を判断する基準を明らかにしていることから紹介しました。読影担当医によって判断が分かれることがないほどの医学的根拠のある異常陰影を見落とした場合は、医師の過失を問うことができるように思われます。

 

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