【事案の概要】
Aは昭和49年9月25日、腹痛と発熱を訴えて救急車でBの経営するC病院に搬送され入院した。Aは化膿性ないし壊阻性の虫垂炎に罹患しており、虫垂切除手術が必要であると診断された。手術にあたり、Aの腰椎の椎間に麻酔剤を注入し、腰椎麻酔が実施された。本件麻酔剤の添付文書には、「副作用とその対策」の項に、血圧対策として、麻酔剤注入前に1回、注入後は10ないし15分まで2分間隔に血圧を測定すべきことが記載されていたが、昭和49年ころは、血圧については少なくとも5分間隔で測るというのが一般開業医の常識であり、本件でも5分ごとの血圧の測定を指示しただけだった。そうしたところ、Aは急に悪心を訴え脈拍の異常が発見され、血圧も低下し、次第に自発呼吸もなくなっていった。蘇生措置が取られたが、Aは心停止の状態に陥り、それが原因で重度の脳機能低下症の後遺症が残った。AがBらに対して損害賠償請求訴訟を提起。

【原判決】
本件事故が起こった昭和49年当時は、血圧については少なくとも5分間隔で測るというのが一般開業医の常識であったから過失にならないと判断。

【本判決】
「人の生命及び健康を管理すべき業務(医業)に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるのであるが、具体的な個々の案件において、債務不履行又は不法行為を以て問われる医師の注意義務の基準となるべきものは、一般的には診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である。そして、この臨床医学の実践における医療水準は、全国一律に絶対的な基準として考えるべきものではなく、診療に当たった当該医師の専門分野、所属する診療機関の性格、その所在する地域の医療環境の特性等の諸般の事情を考慮して決せられるべきものであるが、医療水準は、医師の注意義務の基準(規範)となるものであるから、平均的医師が現に行っている医療慣行とは必ずしも一致するものではなく、医師が医療慣行に従った医療行為を行ったからといって、医療水準に従った注意義務を尽くしたと直ちにいうことはできない。ところで、本件麻酔剤の能書には、「副作用とその対策」の項に血圧対策として、麻酔剤注入前に1回、注入後は10ないし15分まで2分間隔に血圧を測定すべきであると記載されているところ、原判決は、能書の右記載にもかかわらず、昭和49年ころは、血圧については少なくとも5分間隔で測るというのが一般開業医の常識であったとして、当時の医療水準を基準にする限り、被上告人・・に過失があったということはできない、という。しかしながら、医薬品の添付文書(能書)の記載事項は、当該医薬品の危険性(副作用等)につき最も高度な情報を有している製造業者又は輸入販売業者が、投与を受ける患者の安全を確保するために、これを使用する医師等に対して必要な情報を提供する目的で記載するものであるから、医師が医薬品を使用するに当たって右文書に記載された使用上の注意事項に従わず、それによって医療事故が発生した場合には、これに従わなかったことに特段の合理的理由がない限り、当該医師の過失が推定されるものというべきである」として、過失及び因果関係を認め、Bらの責任を認め、原判決を破棄・差し戻した。

本判決は、いわゆる臨床医学の実践における医療水準とは、あくまで診療に従事する医師の拠るべき規範であって、平均的医師が現に行っている医療慣行とは異なることを示し、また、医薬品の添付文書と医師の注意義務の関係を示した重要な最高裁判決です。

 

医療事件

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