この判決は、抗凝固薬であるワーファリンをイグザレルトに切り替えるにあたり、イグザレルトの処方までに時間的間隔を空けたことから、患者が心原性脳梗塞を発症して死亡したため、遺族が損害賠償請求訴訟を提起したという事案です。
最高裁平成8年1月23日判決では、「医薬品の添付文書(能書)の記載事項は、当該医薬品の危険性(副作用等)につき最も高度な情報を有している製造業者又は輸入販売業者が、投与を受ける患者の安全を確保するために、これを使用する医師等に対して必要な情報を提供する目的で記載するものであるから、医師が医薬品を使用するに当たって右文書に記載された使用上の注意事項に従わず、それによって医療事故が発生した場合には、これに従わなかったことに特段の合理的理由がない限り、当該医師の過失が推定されるものというべきである」と述べています。本件における医師の対応は、医薬品の添付文書記載の使用上の注意事項に従っていないように読めることから、判決が医師の過失を認めたのは当然であるように思われます。
【事案の概要】
H22.2 亡Wは、Yクリニックに通院するようになり,心房細動のため、ワーファリン(抗凝固薬)を処方され,以後,ワーファリンを継続的に服用していた。
R3.9.27 YクリニックのV医師は,亡Wに対し,ワーファリンに代えてイグザレルト(抗凝固薬)を処方することを提案した。
R3.10.27 V医師は亡Wに対し,ワーファリンの服用を中止する旨指示し,1か月後の次回の診察日に血液凝固能検査を行った上でイグザレルトを処方する旨説明した。
R3.11.11 亡Wは吐き気や眼痛を訴えてP病院に救急搬送された。同病院の医師は,亡Wに対し,解熱鎮痛剤であるカロナールと制吐剤であるプリンペランを処方し,亡Wは帰宅した。
R3.11.12 亡WはYクリニックを受診し,V医師は亡Wに対し,イグザレルトを処方した。亡Wは,同日夜,布団に倒れこみ,P病院に救急搬送され,同病院に入院した。同病院の医師は,亡Wに対し,心原性脳梗塞である旨の診断をした。
R4.6.10 亡Wは,敗血症により死亡した。
R3.9.27 YクリニックのV医師は,亡Wに対し,ワーファリンに代えてイグザレルト(抗凝固薬)を処方することを提案した。
R3.10.27 V医師は亡Wに対し,ワーファリンの服用を中止する旨指示し,1か月後の次回の診察日に血液凝固能検査を行った上でイグザレルトを処方する旨説明した。
R3.11.11 亡Wは吐き気や眼痛を訴えてP病院に救急搬送された。同病院の医師は,亡Wに対し,解熱鎮痛剤であるカロナールと制吐剤であるプリンペランを処方し,亡Wは帰宅した。
R3.11.12 亡WはYクリニックを受診し,V医師は亡Wに対し,イグザレルトを処方した。亡Wは,同日夜,布団に倒れこみ,P病院に救急搬送され,同病院に入院した。同病院の医師は,亡Wに対し,心原性脳梗塞である旨の診断をした。
R4.6.10 亡Wは,敗血症により死亡した。
亡Wの相続人であるXらが、Yクリニックに対し、V医師は,亡Wに対し,ワーファリンに代えて別の抗凝固薬であるイグザレルトを処方するに当たり,ワーファリンの服用を中止する旨指示したのであるから,亡Wに対し,定期的に血液凝固能検査を行い,血液の固まりにくさを示すPT-INR(プロトロンビン時間国際標準比)の値が1.6を下回った時点で速やかにイグザレルトを投与すべき注意義務があったにもかかわらず,これを怠った注意義務違反があり,これにより亡Wが心原性脳塞栓症を発症して死亡したと主張して,被告に対し損害賠償請求訴訟を提起。
【医学的知見】
ア 心房細動は,不規則な心房興奮が450ないし600/分の高頻度で生じ,心拍数が全く不規則となる上室性不整脈である。心房細動により,心内に血液のよどみができ,血栓が生じやすくなる。
イ 心原性脳梗塞は,心内で形成されたり,あるいは心内を経由した栓子が脳血管を閉塞したりすることで発症する。
ウ ワーファリンは,血栓塞栓症の治療及び予防に用いられる抗凝固薬である。ワーファリンの添付文書には,要旨次のとおりの記載がある。
a ワーファリンは,血液凝固能検査(プロトロンビン時間及びトロンボテスト)の検査値に基づいて投与量を決定し,血液凝固能管理を十分に行いつつ使用する薬剤である。
b 急に投与を中止した場合,血栓を生じるおそれがあるので,徐々に減量すること。
c 副作用として,脳出血等の臓器内出血等を生ずることがある。
ワーファリンの臨床的に意義のある抗凝固効果は,投与後12ないし24時間後に初めて発現し,十分な効果は36ないし48時間後に得られる。また,その作用はその後48ないし72時間持続する。
エ イグザレルトは,非弁膜症性心房細動患者における虚血性脳卒中及び全身性塞栓症の発症抑制や静脈血栓塞栓症の治療及び再発抑制に用いられ,DOACと呼称される直接阻害型経口抗凝固薬である。
イグザレルトの添付文書には,要旨次のとおりの記載がある。
ワーファリンからイグザレルトに切り替える必要がある場合は,ワーファリンの投与を中止した後,PT-INR等,血液凝固能検査を実施し,治療域の下限以下になったことを確認した後,可及的速やかにイグザレルトの投与を開始すること。イグザレルトからワーファリンへの切替え時において抗凝固作用が不十分になる可能性が示唆されているので,抗凝固作用が維持されるよう注意し,PT-INR等,血液凝固能検査の値が治療域の下限を超えるまでは,ワーファリンと本剤を併用すること。なお,抗凝固剤とイグザレルトは併用注意とされ,両剤の抗凝固作用が相加的に増強され,出血の危険性が増大するおそれがあるので,観察を十分に行い,注意することとされている。
【裁判所の判断】
1 争点(1)(血液凝固能検査を実施しイグザレルトを処方するべきであったのにこれを怠った注意義務違反の有無)について
(1)ア イグザレルトの添付文書には,①ワーファリンからイグザレルトに切り替える必要がある場合は,ワーファリンの投与を中止した後,PT-INR等,血液凝固能検査を実施し,治療域の下限以下になったことを確認した後,可及的速やかにイグザレルトの投与を開始すべき旨の記載(以下「本件記載」という。)や,②イグザレルトからワーファリンへの切替え時において抗凝固作用が不十分になる可能性が示唆されているので,抗凝固作用が維持されるよう注意し,血液凝固能検査の値が治療域の下限を超えるまでは,ワーファリンとイグザレルトを併用すべき旨の記載,③抗凝固剤とイグザレルトを併用する場合には,両剤の抗凝作用が相加的に増強され,出血の危険性が増大するおそれがあるので,観察を十分に行い,注意する必要がある旨の記載がある。また,ワーファリンの添付文書には,〈ア〉ワーファリンは,血液凝固能検査の検査値に基づいて投与量を決定し,血液凝固能管理を十分に行いつつ使用する薬剤である旨の記載や,〈イ〉急に投与を中止した場合,血栓を生じるおそれがあるので,徐々に減量すべき旨の記載がある。
上記各記載からは,ワーファリンを継続服用している患者に対し,ワーファリンに代えてイグザレルトを処方するに当たっては,休薬によりワーファリンの抗凝固作用が消失した後,可及的速やかにイグザレルトが服用されないままでいると脳梗塞のリスクが高まる一方で,ワーファリンの抗凝固作用が十分残存している間にイグザレルトが服用されると出血のリスクが高まるという趣旨を読み取ることができる。そして,上記各リスクのいずれかが高まることのないよう,休薬後,血液凝固能検査を実施してイグザレルトを処方するタイミングを判断することが求められているものと解される。
また,ワーファリンの臨床的に意義のある抗凝固効果は,投与後,84時間ないし120時間持続するとされる。そうすると,イグザレルトへの切替えを目的としてワーファリンを休薬する場合,休薬から遅くとも5日が経過した後は,ワーファリンによる抗凝固作用は消失し,イグザレルトを服用しないことによる脳梗塞のリスクが高まる一方で,イグザレルトの服用による出血のリスクは減少すると考えることができる。
以上を前提とすれば,本件記載は,ワーファリンを休薬してから遅くとも5日以内には血液凝固能検査を実施して,血液凝固能が治療域の下限を下回ったことを確認した場合には,可及的速やかにイグザレルトの投与を開始することを求めるものと解するのが相当である。
上記の理は,開業医を対象として心房細動に対する抗凝固療法を解説した複数の医学文献に,ワーファリンからDOACへの切替えについて,ワーファリン服用中のPTINRの値に応じて,①ワーファリンの処方を中止し,翌日からDOACを処方する,②2ないし3日ごとに血液凝固能検査を実施してPT-INRの値を測定し,PT-INRの値が低下した時点でDOACを投与する,③ワーファリンを減量して投与し,PT-INRの値が低下した時点でDOACを処方するといった手順が記載されていることからも裏付けられる。
イ 前記アで判示した本件記載の解釈に基づくと,V医師は,令和3年10月27日に亡Wにワーファリンの服用を中止する旨の指示をしたのであるから,その5日後の同年11月1日頃までには,亡Wに対し血液凝固能検査を実施し,PT-INRの値が治療域の下限を下回る場合には,可及的速やかにイグザレルトを処方する注意義務(以下「本件注意義務」という。)を負っていたと認められる。しかし,V医師は,令和3年10月27日,亡Wに対しワーファリンの服用を中止する旨の指示をした後,次回の診察日を通常の1か月後とし,その間血液凝固脳検査を実施しなかった。よって,V医師には本件注意義務を怠った注意義務違反が認められる。
(2) これに対し,被告は,亡Wは,CHADS2スコアにおける脳梗塞のリスクよりもHAS-BLEDスコアにおける出血のリスクが高く,ワーファリンがかなり効いていた経過であったから,V医師は,出血リスクをしっかり抑えてからイグザレルトの服用を開始することとして,1か月先の受診日にPT-INRの値を検査し,検査結果にかかわらずイグザレルトを処方することを予定したのであって,かかる判断が医療水準から逸脱した不合理な判断であるとはいえない旨主張する。
しかしながら,CHADS2スコアにおける年間脳梗塞発症率は,ワーファリン投与がない慢性心房細動患者についてのものであるから,平成22年2月から継続的にワーファリン投与を受けていた亡Wには該当しない。また,HAS-BLEDスコアにおいてリスク要素とされる高血圧は,収縮期血圧が160mmHg以上の血圧管理不良例(高血圧の既往が含まれるとは認められない。)とされる。亡Wの令和3年10月27日の血圧は,120/75mmHgであるから,HAS-BLEDスコアにおける高血圧に該当するとは認められず,高齢(65歳以上)のリスク因子に該当するにすぎない。そして,亡Wには手術の予定があるなどといった出血のリスクをより重視すべき事情があったとも認められない(亡Wに便潜血の既往があったとしても,殊更に重視すべき事情とは認められない。)。また,そもそも,前記(1)アで判示したとおり,ワーファリンの臨床的に意義のある抗凝固効果は,投与後,84時間ないし120時間持続するとされるのであるから,ワーファリンの休薬から5日が経過した後は,ワーファリンによる抗凝固作用は低下し,イグザレルトの服用を開始することによる出血のリスクは減少している。その他,本件全証拠によっても,ワーファリンを継続的に服用する慢性心房細動患者に対しワーファリンに代えてイグザレルトを処方するに当たり,血液凝固能検査により血液凝固能を確認することなく,1か月間の休薬期間を置くことが合理的であるとする医学的知見は認められない。結局のところ,V医師は,CHADS2スコアにより亡Wの脳梗塞のリスクが低いと考え,通常の診察日が1か月後であることから,特段の積極的な理由なく漫然と次の診察日を1か月後に設定し,同日に血液凝固能検査を行うこととしたにすぎない。かかる判断は,前記(1)アで判示した本件記載の趣旨に反するものといえ,医学的合理性を欠くものというほかない。
以上によれば,被告の上記主張は前記(1)の判断を左右するものとは認められない。
a ワーファリンは,血液凝固能検査(プロトロンビン時間及びトロンボテスト)の検査値に基づいて投与量を決定し,血液凝固能管理を十分に行いつつ使用する薬剤である。
b 急に投与を中止した場合,血栓を生じるおそれがあるので,徐々に減量すること。
c 副作用として,脳出血等の臓器内出血等を生ずることがある。
ワーファリンの臨床的に意義のある抗凝固効果は,投与後12ないし24時間後に初めて発現し,十分な効果は36ないし48時間後に得られる。また,その作用はその後48ないし72時間持続する。
エ イグザレルトは,非弁膜症性心房細動患者における虚血性脳卒中及び全身性塞栓症の発症抑制や静脈血栓塞栓症の治療及び再発抑制に用いられ,DOACと呼称される直接阻害型経口抗凝固薬である。
イグザレルトの添付文書には,要旨次のとおりの記載がある。
ワーファリンからイグザレルトに切り替える必要がある場合は,ワーファリンの投与を中止した後,PT-INR等,血液凝固能検査を実施し,治療域の下限以下になったことを確認した後,可及的速やかにイグザレルトの投与を開始すること。イグザレルトからワーファリンへの切替え時において抗凝固作用が不十分になる可能性が示唆されているので,抗凝固作用が維持されるよう注意し,PT-INR等,血液凝固能検査の値が治療域の下限を超えるまでは,ワーファリンと本剤を併用すること。なお,抗凝固剤とイグザレルトは併用注意とされ,両剤の抗凝固作用が相加的に増強され,出血の危険性が増大するおそれがあるので,観察を十分に行い,注意することとされている。
【裁判所の判断】
1 争点(1)(血液凝固能検査を実施しイグザレルトを処方するべきであったのにこれを怠った注意義務違反の有無)について
(1)ア イグザレルトの添付文書には,①ワーファリンからイグザレルトに切り替える必要がある場合は,ワーファリンの投与を中止した後,PT-INR等,血液凝固能検査を実施し,治療域の下限以下になったことを確認した後,可及的速やかにイグザレルトの投与を開始すべき旨の記載(以下「本件記載」という。)や,②イグザレルトからワーファリンへの切替え時において抗凝固作用が不十分になる可能性が示唆されているので,抗凝固作用が維持されるよう注意し,血液凝固能検査の値が治療域の下限を超えるまでは,ワーファリンとイグザレルトを併用すべき旨の記載,③抗凝固剤とイグザレルトを併用する場合には,両剤の抗凝作用が相加的に増強され,出血の危険性が増大するおそれがあるので,観察を十分に行い,注意する必要がある旨の記載がある。また,ワーファリンの添付文書には,〈ア〉ワーファリンは,血液凝固能検査の検査値に基づいて投与量を決定し,血液凝固能管理を十分に行いつつ使用する薬剤である旨の記載や,〈イ〉急に投与を中止した場合,血栓を生じるおそれがあるので,徐々に減量すべき旨の記載がある。
上記各記載からは,ワーファリンを継続服用している患者に対し,ワーファリンに代えてイグザレルトを処方するに当たっては,休薬によりワーファリンの抗凝固作用が消失した後,可及的速やかにイグザレルトが服用されないままでいると脳梗塞のリスクが高まる一方で,ワーファリンの抗凝固作用が十分残存している間にイグザレルトが服用されると出血のリスクが高まるという趣旨を読み取ることができる。そして,上記各リスクのいずれかが高まることのないよう,休薬後,血液凝固能検査を実施してイグザレルトを処方するタイミングを判断することが求められているものと解される。
また,ワーファリンの臨床的に意義のある抗凝固効果は,投与後,84時間ないし120時間持続するとされる。そうすると,イグザレルトへの切替えを目的としてワーファリンを休薬する場合,休薬から遅くとも5日が経過した後は,ワーファリンによる抗凝固作用は消失し,イグザレルトを服用しないことによる脳梗塞のリスクが高まる一方で,イグザレルトの服用による出血のリスクは減少すると考えることができる。
以上を前提とすれば,本件記載は,ワーファリンを休薬してから遅くとも5日以内には血液凝固能検査を実施して,血液凝固能が治療域の下限を下回ったことを確認した場合には,可及的速やかにイグザレルトの投与を開始することを求めるものと解するのが相当である。
上記の理は,開業医を対象として心房細動に対する抗凝固療法を解説した複数の医学文献に,ワーファリンからDOACへの切替えについて,ワーファリン服用中のPTINRの値に応じて,①ワーファリンの処方を中止し,翌日からDOACを処方する,②2ないし3日ごとに血液凝固能検査を実施してPT-INRの値を測定し,PT-INRの値が低下した時点でDOACを投与する,③ワーファリンを減量して投与し,PT-INRの値が低下した時点でDOACを処方するといった手順が記載されていることからも裏付けられる。
イ 前記アで判示した本件記載の解釈に基づくと,V医師は,令和3年10月27日に亡Wにワーファリンの服用を中止する旨の指示をしたのであるから,その5日後の同年11月1日頃までには,亡Wに対し血液凝固能検査を実施し,PT-INRの値が治療域の下限を下回る場合には,可及的速やかにイグザレルトを処方する注意義務(以下「本件注意義務」という。)を負っていたと認められる。しかし,V医師は,令和3年10月27日,亡Wに対しワーファリンの服用を中止する旨の指示をした後,次回の診察日を通常の1か月後とし,その間血液凝固脳検査を実施しなかった。よって,V医師には本件注意義務を怠った注意義務違反が認められる。
(2) これに対し,被告は,亡Wは,CHADS2スコアにおける脳梗塞のリスクよりもHAS-BLEDスコアにおける出血のリスクが高く,ワーファリンがかなり効いていた経過であったから,V医師は,出血リスクをしっかり抑えてからイグザレルトの服用を開始することとして,1か月先の受診日にPT-INRの値を検査し,検査結果にかかわらずイグザレルトを処方することを予定したのであって,かかる判断が医療水準から逸脱した不合理な判断であるとはいえない旨主張する。
しかしながら,CHADS2スコアにおける年間脳梗塞発症率は,ワーファリン投与がない慢性心房細動患者についてのものであるから,平成22年2月から継続的にワーファリン投与を受けていた亡Wには該当しない。また,HAS-BLEDスコアにおいてリスク要素とされる高血圧は,収縮期血圧が160mmHg以上の血圧管理不良例(高血圧の既往が含まれるとは認められない。)とされる。亡Wの令和3年10月27日の血圧は,120/75mmHgであるから,HAS-BLEDスコアにおける高血圧に該当するとは認められず,高齢(65歳以上)のリスク因子に該当するにすぎない。そして,亡Wには手術の予定があるなどといった出血のリスクをより重視すべき事情があったとも認められない(亡Wに便潜血の既往があったとしても,殊更に重視すべき事情とは認められない。)。また,そもそも,前記(1)アで判示したとおり,ワーファリンの臨床的に意義のある抗凝固効果は,投与後,84時間ないし120時間持続するとされるのであるから,ワーファリンの休薬から5日が経過した後は,ワーファリンによる抗凝固作用は低下し,イグザレルトの服用を開始することによる出血のリスクは減少している。その他,本件全証拠によっても,ワーファリンを継続的に服用する慢性心房細動患者に対しワーファリンに代えてイグザレルトを処方するに当たり,血液凝固能検査により血液凝固能を確認することなく,1か月間の休薬期間を置くことが合理的であるとする医学的知見は認められない。結局のところ,V医師は,CHADS2スコアにより亡Wの脳梗塞のリスクが低いと考え,通常の診察日が1か月後であることから,特段の積極的な理由なく漫然と次の診察日を1か月後に設定し,同日に血液凝固能検査を行うこととしたにすぎない。かかる判断は,前記(1)アで判示した本件記載の趣旨に反するものといえ,医学的合理性を欠くものというほかない。
以上によれば,被告の上記主張は前記(1)の判断を左右するものとは認められない。
2 争点(2)(因果関係)について
(1)ア V医師が本件注意義務を尽くしていた場合,亡Wが令和4年6月10日になお生存していた高度の蓋然性が認められるかを検討する。
亡WのPT-INRの値は,令和3年6月9日には1.87,同年9月27日には1.95であったことからすれば,同年10月27日(ワーファリンの最終服用日)の時点でも同程度の値であったことがうかがわれる。そして,ワーファリンの臨床的に意義のある抗凝固効果は,投与後,84時間ないし120時間持続するとされることに加え,PT-INRの値が2.0ないし3.0の場合は,値が1.5以下になるまでワーファリンの休薬後約4日を要するとされていることに鑑みれば,遅くとも同年11月1日の時点で,亡WのPT-INRの値は治療域(1.6)を下回っていたと考えるのが相当である。
V医師が本件注意義務を尽くしており,遅くとも令和3年11月1日までに亡Wに対し血液凝固能検査が行われた場合には,その結果は同月2日には判明し,V医師は,同日の時点で亡WのPT-INRの値が治療域を下回っていることを確認することができた。前記1で判示したとおり,V医師は,亡WのPT-INRの値が治療域を下回ったことを確認した時点で,可及的速やかにイグザレルトを処方する注意義務を負うのであるから,V医師が本件注意義務を尽くしていた場合,亡Wは,同日頃にはイグザレルトの処方を受けていたこととなる。
イ 前記アに対し,実際の転帰をみると,亡Wは,同年10月27日にワーファリンの服用を中止した後,同年11月12日にイグザレルトを服用することとなったが,同日,心原性脳梗塞を発症して入院し,令和4年6月10日,仙骨部褥瘡感染を原因とする敗血症により死亡している。
ワーファリン及びイグザレルトは,いずれも,血栓塞栓症の治療及び予防等に用いられる抗凝固薬であるところ,亡Wは,平成22年2月5日から継続的にワーファリンを服用し,TTRは良好に保たれていた。そして,亡Wは令和3年10月27日のワーファリンの休薬後,手術等の身体侵襲を受けたものではなく,本件注意義務違反の他に心原性脳梗塞の発症につながる直接的な要因があったとはうかがわれない。以上の事情によれば,V医師が本件注意義務を尽くし,亡Wが同年11月2日頃にイグザレルトを服用していた場合,亡Wは,心原性脳梗塞を発症しなかったか,発症したとしてもその予後は実際の転帰よりも改善されていたということができるから,亡Wが令和4年6月10日になお生存していた高度の蓋然性が認められる。
(2) これに対し,被告は,①心原性脳塞栓症の血栓の原因及び因子に鑑みても,抗凝固薬は,あくまで脳梗塞の予防の位置づけであり,その効果には限界があり,CHADS2スコアが2点の患者に1か月ワーファリンを中止した場合の脳梗塞発症リスクは約0.3%にすぎないこと,②ワーファリンによりPT-INRの値がコントロールされている場合とそうでない場合の脳梗塞発症率の差は1%強にすぎないこと,③本件は,脳卒中の予防措置としてアムロジピンが投与されてもなお脳梗塞が発症した事案であること等を指摘して,因果関係が認められない旨主張する。
しかしながら,前記1(2)判示のとおり,被告が指摘する脳塞栓症の発症リスクの統計は,ワーファリンの投与を受けていない者についてのものである。亡Wは,平成22年2月5日から継続的にワーファリンを服用し,TTRは良好に保たれていた。そして,ワーファリンの添付文書には,急に投与を中止した場合,血栓を生じるおそれがあるので,徐々に減量する旨の記載があることに照らせば,これをリバウンド現象というかはともかく,被告が指摘する脳塞栓症のリスクの統計は原告には当てはまらないというべきである。
確かに,本件注意義務が尽くされたとしても,亡Wが心原性脳梗塞を発症した可能性を完全に否定することはできない。しかしながら,イグザレルトは,全身性塞栓症の発症抑制や静脈血栓塞栓症の治療に用いられるのであるから,遅くとも令和3年11月1日までに血液凝固能検査が行われ,その結果に基づき可及的速やかにイグザレルトが処方されていた場合,同月12日に服用した場合と比して症状が抑制され,予後が改善されていた高度の蓋然性が認められるから,被告の主張を踏まえても,亡Wが令和4年6月10日になお生存していた高度の蓋然性は否定し得ない。なお,被告が提出する医学論文にも,ワーファリンが投与され治療域(PT-INRの値が2.0以上)の場合,心原性脳梗塞を発症した例が少なく,リスクが抑えられると考えられ,治療域内にコントロールされながら脳梗塞を発症した例では,治療域未満や未治療の例に比して機能予後,生命予後が良好であったことが報告されているとの記載が認められる。
以上によれば,被告の上記主張は前記(1)の判断を左右するものとは認められない。
4 まとめ
以上によれば,被告は,使用者責任により,原告X1に対しては,1821万2043円及びこれに対する不法行為の日の後である令和4年6月10日から支払済みまで民法所定の年3分の割合による遅延損害金,原告X2及び原告X3に対しては,各952万9051円及びこれに対する前同日から支払済みまで各民法所定の年3分の割合による遅延損害金の各支払義務を負う。
しかしながら,前記1(2)判示のとおり,被告が指摘する脳塞栓症の発症リスクの統計は,ワーファリンの投与を受けていない者についてのものである。亡Wは,平成22年2月5日から継続的にワーファリンを服用し,TTRは良好に保たれていた。そして,ワーファリンの添付文書には,急に投与を中止した場合,血栓を生じるおそれがあるので,徐々に減量する旨の記載があることに照らせば,これをリバウンド現象というかはともかく,被告が指摘する脳塞栓症のリスクの統計は原告には当てはまらないというべきである。
確かに,本件注意義務が尽くされたとしても,亡Wが心原性脳梗塞を発症した可能性を完全に否定することはできない。しかしながら,イグザレルトは,全身性塞栓症の発症抑制や静脈血栓塞栓症の治療に用いられるのであるから,遅くとも令和3年11月1日までに血液凝固能検査が行われ,その結果に基づき可及的速やかにイグザレルトが処方されていた場合,同月12日に服用した場合と比して症状が抑制され,予後が改善されていた高度の蓋然性が認められるから,被告の主張を踏まえても,亡Wが令和4年6月10日になお生存していた高度の蓋然性は否定し得ない。なお,被告が提出する医学論文にも,ワーファリンが投与され治療域(PT-INRの値が2.0以上)の場合,心原性脳梗塞を発症した例が少なく,リスクが抑えられると考えられ,治療域内にコントロールされながら脳梗塞を発症した例では,治療域未満や未治療の例に比して機能予後,生命予後が良好であったことが報告されているとの記載が認められる。
以上によれば,被告の上記主張は前記(1)の判断を左右するものとは認められない。
4 まとめ
以上によれば,被告は,使用者責任により,原告X1に対しては,1821万2043円及びこれに対する不法行為の日の後である令和4年6月10日から支払済みまで民法所定の年3分の割合による遅延損害金,原告X2及び原告X3に対しては,各952万9051円及びこれに対する前同日から支払済みまで各民法所定の年3分の割合による遅延損害金の各支払義務を負う。