【事案の概要】
Aは。平成12年4月24日、B病院にて上行結腸部分切除術によるポリープの摘出手術を受けた。Aは翌日から発熱が始まり、解熱剤としてボルタレンが投与された。Aは4月28日から下血をするようになった。同月29日にはタール便が出るなどし、出血量は1000~1500mlと推定された。同日のAのヘモグロビン値(正常値13~18g/dl)は朝が8.7、午後が7.5と低下した。ヘマトクリット値(30%以上が望ましいとされる)は23.5、20.4であった。Aに2200mlの輸液がされ、酸素投与も開始された。同月30日には下血17回あり、下血量は合計1000g、ヘモグロビン値が5.6、5.2であり、ヘマトクリット値が14.8、13.9であった。この日800mlの輸血が行われた。頻脈が見られ、ショック指数も1.0を超えることが少なくなかった。5月1日の下血は14回、下血量は1100g、ヘモグロビン値は5.3、5.6、ヘマトクリット値は14.6、15.2であった。この日、800mlの輸血が行われた。5月2日朝のヘモグロビン値は5.0、ヘマトクリット値は13.5であった。午前6時に1475gの大量のタール便の下血があった。Aは午前7時20分、ショック症状となり、午前8時31分、死亡した。Aの遺族Xらが、主治医Yらを被告として損害賠償請求訴訟を提起。1審はYの過失を認めてXらの請求を一部認容したが、原判決は、Y医師の過失及び因果関係を否定し、原告の請求を棄却した。
 
【原判決】 
 (1)YがAに対し,4月30日及び5月1日にそれぞれ800mlずつの濃厚赤血球の輸血をしたにもかかわらず,同人のヘモグロビン値とヘマトクリット値は十分な回復に至っていないのであるが,前記確定事実とC作成の鑑定意見書を総合すると,上記の輸血によってこれらの値の更なる悪化を防止できていた側面も存する上,ヘモグロビン値が5.0の状態であっても通常の社会生活を送っている人もおり,その許容値には個人差があり相対的なものであること,Aも術後とはいえ,当時の意識は清明で,会話も可能な状態にあり,尿量も十分に確保されているなど症状が比較的安定していたことが認められるのであり,このような事情に照らすならば,上記の時点においては,緊急の大量輸血をしなければならないような強い医学的徴候は存在しなかったとみるのが相当である。また,前記確定事実とC意見書によれば,輸血も移植の一つと考える医師が増加しており,輸血による合併症も問題視されていることが認められることに加えて,A自身が輸血に消極的であったことも考えると,輸血量をできるだけ少なくする合理的な理由も存在したといえるのであるから,4月30日及び5月1日の時点において,Yが,各当日の800mlつの輸血に加えて更に800ml以上ずつの輸血の必要性を認識しなければならなかった特段の事情はなく,追加輸血の選択は,医師の合理的裁量の範囲内であったというべきである。したがって,YがAに対し十分な量の輸血をしなかったことに注意義務違反があったとはいえない。
 さらに,Yが,4月28日から5月1日までの間に,Aの出血の部位が胃潰瘍であることを強く疑うことは困難であり,Aが胃の内視鏡検査に強いおう吐反応があり,同検査によってショックの誘発などの事態もあり得ることをも考えると,上記時点で胃の内視鏡検査を実施するかどうかは医師の裁量の範囲内であり,これをしなかったことに過失があったとはいえない。
 (2)Aは,5月2日の早朝に胃潰瘍の悪化に伴う消化管からの突然の大出血があったものと推認することができる。そして,上記大出血という緊急事態がAを襲わなければ,死亡という結果を回避できたと考えられる反面,仮に,4月30日と5月1日の輸血量を更に800mlずつ追加したとしても,上記大出血があれば,心肺停止の回避は困難であったがい然性が高かったものと認められる。
 
 
【本判決】
 4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
 (1)原審は,前記確定事実及びC意見書に基づいて上記判断をしているが,記録によれば,C意見書は,原審の第1回口頭弁論期日において初めてYらから提出されたものであり,第1審ではC意見書とは意見の異なるD作成の鑑定意見書がXらから提出されていたところ,第1審は,前記確定事実とほぼ同一の事実認定の下で,D意見書に基づき,Yとしては,4月30日には800mlの輸血をしたにもかかわらず,5月1日にヘモグロビン値やヘマトクリット値の数値は改善されなかったのであるから,遅くとも5月1日の段階では,ヘモグロビン値を目標とした7まで上昇させようとすれば,800mlの輸血では不十分で,更に800mlの輸血をする必要があったといわなければならないのに,十分な量の輸血をしなかった過失があるとして,原審とは異なる判断をしたものであることが明らかである。
 (2)ア まず,YにAのショック状態による重篤化を防止する義務違反があったか否かに関して,C意見書は,「実際の臨床においては,Hb値が5.0の状態でも,通常の生活を送ることは可能で,息切れがするという程度の主訴で患者が来院することはよく経験される。例えば,内痔核による下血や,子宮筋腫などの場合で,このような場合は,原因をつきとめ,止血し,鉄剤を投与することで,通常の状態に回復させることが可能である。外傷性の肝損傷の患者が来院した場合,あっという間に腹腔内に出血を起こすような場合,出血量に見合った量を緊急的に輸血しなければ,生命は維持出来ないが,本症例のような出血の場合は,緊急輸血の必要性は,なかったと思われる。」,「輸血を開始する前日,貧血は進行し,若干の血圧の変動も認められたが,その後,血圧は正常に保たれており,意識も清明,尿量も充分,確保されていることから,亡くなる当日まで,循環動態を含め,全身的な状態は,ほぼ,良好に保たれていたであろうと考えられ,出血量に相当する800mlの輸血量は必要かつ充分であり,妥当なものであったと考える。」として,輸血を追加する必要性を否定している。
 イ これに対して,D意見書は,「赤血球数,ヘモグロビン値及びヘマトクリット値が4月29日に急激に下がったこと,同日午後3時の血圧も94/72に下降し,頻脈も出現していること,看護記録には,同日午後2時の欄に粘血便5回ありとの記載があり,同日午後4時30分の欄にはタール便にて多量にありとの記載があることなどからすれば,同日午後4時30分の時点では迷うことなく上部消化管出血の可能性を考え,緊急内視鏡検査で出血源の検索と止血術を行い,出血性ショックに備えるべきであった。」,「4月29日から30日にかけての赤血球数,ヘモグロビン値及びヘマトクリット値の下降は極めて急激で,大量の消化管出血が生じていることは明らかであり,4月30日のヘモグロビン濃度約5.2g/dlを10g/dlまで上げるには,400cc由来のMAP約4本を半日以内に輸血する必要があった。」などと指摘している。
 ウ 前記確定事実によれば,①Aは,4月29日には粘血便が10回あり,そのうち午後4時30分以降はタール便となり,出血量は1000~1500mlと推定されること,4月30日の下血量は約1000gであったこと,5月1日にはタール便や暗赤色便となる下血が14回あり,下血量は約1100gであったことなどからして,4月29日から5月1日にかけての下血,血便の量が相当多量になっていたこと,②術後における太郎のヘモグロビン値やヘマトクリット値の推移を見ると,4月24日に上行結腸の手術を受けて1週間も経ない4月30日に,ヘモグロビン値が5g/dl台に,ヘマトクリット値が13~15%台にそれぞれ参考基準値をかなり下回る値にまで急に下降していること,③Aには4月29日から同月30日にかけて頻脈が見られ,ショック指数も1.0を超えることが少なくなかったこと等の事実が認められ,これらの事実は,4月30日及び5月1日の各日において,Aがそれまでの出血傾向によりその循環血液量に顕著な不足を来す状態に陥り,その状態が継続したこと,そのため太郎に対し各日の800mlずつの輸血に加えて更に輸血を追加する必要性があったことをうかがわせるものである。そして,C意見書が挙げる子宮筋腫などによる貧血の場合と本件のAのように術後の出血により急に循環血液量が減少した場合とを同列に扱うことができるのか疑問であり,前記2(3)の医学的知見によれば,後者の場合の方が,生体組織の酸素代謝に障害が起き,出血性ショックを起こしやすいとも考えられる。C意見書の中にも,「術後の患者では一般的には,Hb値が7.0を切った場合,輸血を考慮する。この理由は,これ以下の値の場合,組織の酸素代謝に障害が起きることが,考えられるためである。」との記載がある。C意見書は,Aについて,亡くなる当日まで血圧が正常に保たれ,意識も清明であり,尿量も十分確保されていたことを根拠として,循環動態を含め,全身状態がほぼ良好に保たれていたとしているが,上記Aの出血量や下血量,ヘモグロビン値やヘマトクリット値の推移,ショック指数の動向に照らせば,Aの全身状態が良好に保たれていたとの意見をそのまま採用することはできない。
 なお,C意見書は,「近年,輸血も移植の一つであると考える医師が増加している。輸血による合併症が重大視されており,可能な限り,輸血を避けるというのが,現在の医療界での主流である。Yは,Hb値が7.0を切った時点で家族に対して,輸血の申し入れをしているが,拒否されている。輸血の危険性が一般人にも喧伝されていたためであろう。」として,輸血に合併症の危険があることが輸血を追加しないことを正当化する根拠としているが,本件において,Aが輸血の追加を必要とする状態にあったとすれば,C意見書の上記一般論は,YにAのショック状態による重篤化を防止すべき義務違反があったか否かの結論を左右するものではない。
 エ 原審は,Yにおいて,4月28日から5月1日までの間にAの出血の部位が胃潰瘍であることを強く疑うことは困難であり,上記時点で胃の内視鏡検査を実施するかどうかは医師の裁量の範囲内であり,これをしなかったことに過失があったとはいえないとしているが,D意見書が指摘するとおり,看護記録には,既に4月29日午前9時30分の欄に「便 暗赤色にて」,午後4時30分の欄には「タール便にて多量にあり」と記載されているのであるから,Yとしては,この段階でAの上部消化管出血を疑うべきであり,内視鏡検査を実施するかどうかが医師の裁量の範囲内にあったとはいい難く,Yは,緊急内視鏡検査で出血源の検索と止血術を行うべきであったとするD意見書の意見は,合理性を有するものであることを否定できない。
 オ 
そうすると,4月29日以降の太郎の状態や前記2(3)の医学的知見から判断して,原審は,Yにおいて,Aに対し輸血を追加すべき注意義務違反があることをうかがわせる事情について評価を誤ったものである上,D意見書の上記イの意見が相当の合理性を有することを否定できないものであり,むしろ,C意見書の上記アの意見の方に疑問があると思われるにもかかわらず,D意見書とC意見書の各内容を十分に比較検討する手続を執ることなく,C意見書を主たる根拠として直ちに,Aのショック状態による重篤化を防止する義務があったとはいえないとしたものではないかと考えられる。このことは,原審が,第1回口頭弁論期日に口頭弁論を終結しており,本件の争点に関係するD意見書とC意見書の意見の相違点について上告人らにDの反論の意見書を提出する機会を与えるようなこともしていないことが記録により明らかであること,原審の判示中にD意見書について触れた部分が全く見当たらないことからもうかがわれる。このような原審の判断は,採証法則に違反するものといわざるを得ない。

 (3)ア 次に,Yの行為とAの死亡との相当因果関係の有無に関して,C意見書は,「5月2日の早朝,突然の消化管からの大出血については,まったく予測不能であり,地裁判決のとおり,1600mlの輸血が,行われたと仮定しても,このような,大出血の場合,心肺停止は防ぐことが出来なかったと考える。」として,上記因果関係を否定している。
 イ これに対し,D意見書は,「出血源の明確な同定が出来ていないとはいえ,消化管内のいずれかの場所から出血していることは間違いなく,4月29日には,vital signからもプレショック状態と判断できるはずであった。それにもかかわらず輸血の開始時期が遅く(4月30日午前8時50分になって初めて輸血開始),しかも輸血量が少ない(中略)など,出血に対する治療が,きわめて不十分であった。」,「輸血とともに重要なことは,出血源の検索である。主治医は当初,大腸の吻合部からの出血と考え,まずCT検査や超音波検査などをおこなっているがその所見から腹腔内への出血は否定された。その結果,下血の原因が「吻合部からの腸管内への出血」との考えにこだわり,対応が遅れてしまったと考えられる。(中略)4月29日に出血源に対する究明がなされ,迅速な対応がなされていれば,本件の患者の救命の可能性は高かったであろう。まず,中心静脈圧を測定しつつ,ショックを起こさないだけの充分な輸血・輸液を行い,迅速なショック対策を講じると同時に,緊急内視鏡検査を行って急性胃潰瘍からの出血が確認されれば,露出血管のクリッピング,エタノールの局所注入,(中略)などの方法によって,出血をコントロールしえた可能性がある。急性出血性胃潰瘍に対する緊急内視鏡検査と内視鏡的止血術により殆どの患者は救命しうると考えられ,上記のようなさまざまな方法の組合せにより止血の確実性も増している。(中略)もし,内視鏡的な止血術が不成功に終わった場合は,ただちに開腹術を行い,出血部位を確認して,胃切除などの観血的な治療を行えば,患者の救命は可能であったと考えられる。」としている。
 ウ 前記確定事実によれば,Aは,5月2日早朝に初めて多量の出血があったのではなく,4月29日から既に出血傾向にあったのであるから,5月2日早朝までに輸血を追加して,Aの全身状態を少しでも改善しながら,その出血原因への対応手段を執っていれば,Aがショック状態になることはなく,死亡の事態は避けられたとみる余地が十分にあると考えられ,D意見書の上記イの意見は,相当の合理性を有することを否定できないのであり,むしろ,C意見書の上記アの意見の方に疑問があるというべきである。それにもかかわらず,原審は,D意見書とC意見書の各内容を十分に比較検討する手続を執ることなく,C意見書の上記アの意見をそのまま採用して,上記因果関係を否定したものではないかと考えられる。このような原審の判断は,採証法則に違反するものといわざるを得ない。
 5 以上のとおり,YにはAのショック状態による重篤化を防止する義務に違反した過失はないとするとともに,Yの行為と結果との因果関係も否定した原審の判断には採証法則に反する違法があり,この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである。これと同旨をいう論旨は理由があり,原判決は破棄を免れない。そこで,Yの上記過失の有無,Yの行為とAの死亡との間の因果関係の有無等について,更に必要な審理を尽くさせるため,本件を原審に差し戻すこととする。
 よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。
 
 
控訴審は、第1回期日で結審し、控訴審になって病院側が提出したC意見書に基づいて第1審の判決を取り消してXらの請求を棄却しています。Xらが納得できないのは当然であり、判断内容の合理性の点からも、最高裁が控訴審の判断を取り消したのは当然と思われます。