【事案の概要】
Bは、食道がんとの診断を受けてYが経営するC病院に入院し、平成6年12月12日に食道全摘術等の手術を受けた。手術後、Bは経鼻気管挿管のまま集中治療室に収容された。
同月18日10時50分ころ、担当医のA医師はBの気管内に挿入してあった管を抜いた。A医師は,抜管後,こう頭鏡により太郎のこう頭の状態を観察したところ,こう頭浮しゅ(++)がみられた。
同日10時55分ころ,Bの吸気困難な状態が高度になったことを示す胸くうドレーンの逆流が生じたが,A医師は,その際,再挿管を直ちにする必要はないと判断し,吸引圧の上昇を図るとともに,逆流防止弁(ハイムリッヒ弁)を装着して,様子をみることとした。このころ,Bには,軽度の呼吸困難の訴えや努力性呼吸がみられた上,上気道の狭さくを示すしわがれ声による発声もあった。
同日11時ないし11時5分ころ,A医師が,こう頭鏡により太郎の上気道の状況を観察したところ,こう頭が見え,呼吸困難な状態ではなく,また,聴診器により呼吸音(肺胞音)を聴取したところ,異常がないことが確認された。
このため,A医師は,同日11時7,8分ころ,Bの換気は安定したと判断し,隣室の看護婦詰所でカルテを記載しようと考え,Bから目を離し,ドレーンの排出状態を観察するなどしていたが,同日11時10分ころ,Bを見ると,四肢冷感,爪床色不良,冷汗,顔色及び口唇色不良等のチアノーゼが現れており,呼びかけにも応答せず,呼吸音がほとんど聴取できない状態であった。A医師は,直ちに吸たんをし,アンビューバッグとフェイスマスクで陽圧呼吸を試みたが,換気をすることができず,また,経口再挿管を試みたが,Bは,筋強直状態で開口することができなかった。そして,A医師は,異常に気付いて駆けつけたD医師と共に,経鼻再挿管を試みたが成功せず,再度,経口再挿管を試みているうちに,Bは心停止に至った。
その後、経口再挿管に成功するなどし、11時15分ころ、Bの心拍は再開したが、Bは植物状態となり、約1年半後、食道がんの再発、進行により死亡した。Bの遺族Xらが訴訟提起。
【原判決】 Xらの請求を棄却。
(1) 本件手術の内容からみて,術後のこう頭周囲の浮しゅの状態は,かなり高度のものであったと推測されること,抜管後胸くうドレーンの逆流がみられたが,これは吸気困難な状態が高度になったことを示していること,しわがれ声による発声があったこと等に照らすと,Bは,進行性のこう頭浮しゅにより,上気道狭さくから閉そくを起こし,呼吸停止及び心停止に至ったものと推測するのが相当である。
(2) 鑑定E及び同Fの鑑定の結果,A医師の証言,看護記録の記載等から,Bは,進行性のこう頭浮しゅの発生により一定の時間呼吸困難な状態にあったと推測し得る。
(3) A医師が,Bの気管内に挿入してあった管を抜き,胸くうドレーンの逆流が生じたものの,その後,Bは,いったん呼吸が安定した状態になったのであるが,同日11時10分ころには呼吸停止状態になったことからすると,呼吸困難な状態は相当短時間であったと考えることができる(A医師がドレーンの排出状態の観察等をしている間に呼吸困難な状態が急速に進行したものと思われる)。そうすると,抜管後,こう頭浮しゅがあり,胸くうドレーンの逆流が生じたものの,いったんBの呼吸が安定した状態になったのであるから,その後にBが呼吸困難な状態に陥ったことにつきA医師が直ちに気付かなかったとしても,呼吸困難な状態が相当短時間であったことからすると,これをあながち非難することはできず,A医師に過失があると認めることはできない。
【本判決】
しかしながら,原審の上記・・(3)の判断は是認することができない。その理由は,次のとおりである。
前記の事実関係によれば,次のことが明らかである。(1)本件手術は,食道の全摘術であり,その手術内容からすると,術後のこう頭周囲の浮しゅの状態は,かなり高度のものであったと推測されるのであり,現に,A医師は,平成6年12月18日10時50分ころに前記抜管をした後,こう頭鏡によりBのこう頭の状態を観察し,こう頭浮しゅ(++)の存在を確認している。(2)前記抜管の約5分後(10時55分ころ)には,Bの吸気困難な状態が高度になったことを示す胸くうドレーンの逆流が生じており,また,そのころ,Bには,軽度の呼吸困難の訴えや努力性呼吸がみられた上,上気道の狭さくを示すしわがれ声による発声もあったなど,Bのこう頭浮しゅの状態が相当程度進行しており,既に呼吸が相当困難な状態にあって,これが更に進行すれば,上気道狭さくから閉そくに至ることをうかがわせるのに十分な兆候があった。(3)Bが呼吸停止,心停止に至った原因は,進行性のこう頭浮しゅにより上気道狭さくから閉そくを起こしたものと推測されるが,前記の医学的知見によれば,本件手術のような食道がん根治術の場合,気管内に挿入された管の抜管後に,このような上気道の閉そく等が発生する危険性が高いとされており,抜管後においては,患者の呼吸状態を十分に観察して再挿管等の気道確保の処置に備える必要があり,特に抜管後1時間は要注意であるとされている。
上記の諸点に照らすと,A医師は,抜管後,Bの吸気困難な状態が高度になったことを示す胸くうドレーンの逆流が生じた上記時点(前同日10時55分ころ)において,Bのこう頭浮しゅの状態が相当程度進行しており,既に呼吸が相当困難な状態にあることを認識することが可能であり,これが更に進行すれば,上気道狭さくから閉そくに至り,呼吸停止,ひいては心停止に至ることも十分予測することができたものとみるべきであるから,A医師には,その時点で,再挿管等の気道確保のための適切な処置を採るべき注意義務があり,これを怠った過失があるというべきである。
なお,前記のとおり,A医師は,胸くうドレーンの逆流が生じた上記時点後の同日11時ないし11時5分ころにBの観察等をし,11時7,8分ころにその呼吸状態が安定したとの判断をしているが,そのような状態はわずかな時間継続した一時的なものにすぎず,Bが,その直後の11時10分ころには,再び呼吸困難な状態に陥り,呼吸停止に至ったことからみて,こう頭浮しゅによる呼吸困難という基本的な状況に変化があったものとは考えられない。したがって,このような一時的な状態が存在したことが上記の判断を左右するものではない。
5 以上によれば,胸くうドレーンの逆流が生じた上記時点において,A医師には,再挿管等の気道確保のための適切な処置を採るべき注意義務を怠った過失があるというべきであり,これと異なる原審の判断には,法令の適用を誤った違法があるといわざるを得ず,この違法は,判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由があり,原判決は破棄を免れない。そして,本件については,損害等の点について更に審理を尽くさせるため,本件を原審に差し戻すこととする。
よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。
手術後の抜管後に生じた喉頭浮腫により呼吸困難となり心停止した事案で、医師が気道確保のための適切な処置を採るべき注意義務を怠った過失を認めた判決です。胸腔ドレーンの逆流は吸気困難な状態が高度になったことを示している以上、この時点で医師は気道確保のための適切な処置を採るべきだったということになります。