【事案の概要】
 (1)Xは,住居侵入罪で逮捕され,東京拘置所に勾留されていた。東京拘置所の職員は,平成13年4月1日(日曜日,以下,平成13年については月日のみを記載する。)午前7時30分ころ,起床時の点検のために各房を巡回中に,Xが,寝具を畳む等の起床の作業をせず,布団の上で上半身を起こしたままの状態でいるのを見た。同職員が数分後に再びXを見たところ,Xは同じ状態であったので,同職員が声をかけたところ,Xは,ただ「うっ」,「あっ」と言葉にならない返答をするだけであった。そこで,同職員は,直ちに,東京拘置所医務部病院(以下「医務部」という。)に連絡した。
 Xは,同日午前8時ころ,医務部に運び込まれ,医務部の外科の医師で3月31日から4月1日午前8時30分までの当直医であったA医師がXを診察したところ,Xには,脳内出血又は脳こうそくの疑いがあり,同日午前8時10分ころ,上告人は,東京拘置所の特定集中治療室(以下「ICU」という。)に収容された。
 (2)医務部の医師で4月1日午前8時30分から同月2日午前8時30分までの当直医であったB医師は,同月1日午前8時20分ころ東京拘置所に登庁し,A医師から,Xについて,脳内出血又は脳こうそくの疑いがあること,CT撮影で原因の確認をする必要があることなどを聞いた。
 B医師は,精神神経科が専門であるが,脳外科病院に勤務していたことがあり,脳こうそくの臨床経験もあった。
 B医師は,同日午前8時30分過ぎころ,Xを診察したところ,「問いかけに答えず。痛み刺激で手足を動かす。右半身麻ひ。発語不能。どう孔は正円。両眼の対光反射は迅速。」という状態であった。B医師は,Xの症状は,脳内出血又は脳こうそくのいずれかによるものであると考え,頭部CT撮影をすることとした。
 B医師は,同日午前9時3分ころ,自らXの頭部CT撮影をした(以下,このCT撮影を「第1回CT撮影」という。)。その際,Xが動いたため,CTの画質は悪かったが,Xの脳には,低吸収域(脳細胞が虚血状態になって元に戻りにくい状態になっていることを示す,黒っぽく写る画像)が写っていた。
 B医師は,上記のCTの画像から,上告人の症状は,脳内出血ではなく脳こうそくによるものであると判断し,脳浮しゅ対策のため,グリセオールを投与するよう指示し、Xに対してグリセオールの投与が行われた。
 放射線技師であるC技師が東京拘置所に登庁したため,同日午前11時15分ころ,Xに対して,C技師によって第2回の頭部CT撮影が行われた。このCTの画像には,Xの脳に低吸収域が写っていたことから,B医師は,脳こうそくであるとの当初の判断が正しいことを確認した。
 B医師は,その後,一般消化器外科の医師で東京拘置所の医務部長であったD医師に対し,電話で,Xに対して執った措置等について報告した。D医師は,それまでの措置は適切であると考え,Xの容態が急変すれば連絡するよう指示したのみであった。
 B医師は,何度かICUにおいて治療を受けていたXのところに赴き,Xの状態を確認したほか,医務部事務室内に設置されているモニターで,Xのバイタルサインを確認していた。
 Xは,同日午前11時45分には「発語なし。どう孔左右不同なし。対光反射あり。」という状態であり,同日午後5時30分には「しきりに起きようとする。発語なし。」という状態であり,同日午後9時20分には就寝中であった。
 同日午後11時30分ころ,医務部事務室内のモニターの電源が切られたが,ICU内のモニターは,24時間作動しており,これによって夜間勤務する東京拘置所の職員が異常を察知した場合には,B医師に連絡する態勢になっていた。
 (3)D医師が,4月2日午前7時ころ東京拘置所に登庁し,同日午前7時50分ころ,Xを診察したところ,「こちらの言うことは分かるらしい。目を閉じてと言うと目を閉じる。右半身麻ひ,言語障害がある。」という状態であった。D医師は,Xに対して感染防止の投薬等をすることを指示した。
 同日午前9時27分ころ,Xに対して第3回の頭部CT撮影が行われた。このCTの画像によると,Xの左の脳室が圧迫されており,脳浮しゅの進行が認められたことから,D医師は,同日午前10時ころ,そのまま東京拘置所で保存的治療をすることは不適当であると判断した。
 また,D医師は,上告人について呼吸管理が必要であると判断し,同日午前11時55分ころまでに気管切開を行った。
 D医師は,同日午後0時ころ,警察病院にXの受入れの可否を照会したが,同日午後2時ころになって受け入れることはできないとの回答があり,次の搬送先として照会したE病院からも受入れを断られた。
 その後,D医師がF病院に照会したところ,受入れ可能との回答があったので,同病院へ転送することにした。そして,同日午後3時9分ころ救急車が東京拘置所に到着し,上告人は,同日午後3時41分にF病院に到着した。
 (4)F病院に到着したときには,Xの意識レベルは,いわゆるこん睡状態であり,同日午後4時30分に行われた頭部CT撮影の結果では,Xは,左中大脳動脈領域に広範な脳浮しゅが出現し,左半球は脳溝が狭小化し,脳室は拡大しているという状態であり,症状は,前日や同日午前よりも増悪傾向にあった。
 そこで,F病院では,Xの弁護人の同意を得て,同日午後10時15分から4月3日午前0時23分まで,Xの前側頭部の緊急開頭減圧手術を施行した。
 (5)Xは,4月11日,F病院の医師によって,重大な後遺症を残す可能性が高いと診断された。
 また,Xの8月当時の病状は,①感覚性失語及びほぼ完全な運動性失語,②右同名性半盲,③失読・失書,④抽象的な用語を用いた意思の疎通はできない,⑤計算力は全くないか著しく低下しており,言語や文字の理解力,判断力は著しく障害されている,⑥右下2分の1顔面神経麻ひ,⑦右半身完全運動麻ひ等であり,①~⑤については,将来的にもほぼ変わらないであろうというものであった。
 
 Xは東京拘置所の医師が転送義務を怠ったなどと主張して国家賠償法1条1項に基づき慰謝料等を請求する訴訟を提起
 
 
【第1審】
転医させる義務に反したため、血栓溶解療法を受ける機会を完全に失ったとして、Xの請求のうち、慰謝料100万円、弁護士費用20万円の限度で認めた。
 
 
【原判決】 Xの請求を棄却
Xを速やかに外部の医療機関に転送したとしても、Xの後遺症の程度が軽減されたというべき事情は認められないとした。
 
 
【本判決】
 (6)脳こうそくとは,脳血管の血流障害により,脳組織がえ死を起こすことをいい,脳こうそくには,脳血栓(脳血管に生じた血栓により脳血流障害が起こること),脳そく栓(流血中の血栓,空気,脂肪,しゅ脹などの異物により脳血管が閉そくすること)などがある。
 血管の閉そくによる血流の途絶により,すべての脳組織が直ちに不可逆的な死に至るわけではない。発症当初の一定時間内(超急性期)であれば,細胞が不可逆的な死に至る前に血管の閉そくを溶解させて血流を再開させることができ,血栓溶解薬を用いて血管の閉そくを溶解させて血流を再開させる治療法を血栓溶解療法という。
 血栓溶解療法は,我が国では,主たる治療法とはなっていない。また,血栓溶解療法は,副作用として脳に出血を起こす危険性がある。血栓溶解療法が好適応であるのは,一般的に,発症後3時間以内又は6時間以内であること,CT上明らかな低吸収域がないことなどの条件を満足する場合であるとされている。
 (7)第1回CT撮影が行われた4月1日午前9時3分の時点では,Xの脳に低吸収域が認められることなどからすると,Xには,血栓溶解療法の適応がなかった。それより前の時点においては,Xには,血栓溶解療法の適応があった可能性がある。しかし,Xについて,外部の医療機関から受入れの承諾を得て,救急車で搬送するには,一定の時間を要し,また,脳内出血であるか脳こうそくであるかの診断をするためにCT撮影をするにも一定の時間を要することなどからすると,A医師がXを最初に診察した午前8時ころの時点においてXを外部の医療機関に転送する手続を開始したとしても,血栓溶解療法の適応があった間に,転送先の医療機関においてXに対して血栓溶解療法を開始することが可能であったとは認め難い。
 さらに,Xが同日から4月2日にかけてICUに収容されていた間,医務部の医師らによりXの症状に対応した治療は行われており,そのほかに,Xを速やかに外部の医療機関に転送したとしても,Xの後遺症の程度が軽減されたというべき事情は認められない。
 なお,Xにつき東京拘置所で執られた一連の診療措置について,専門医の意見書には,①4月1日に上告人に脳こうそくの症状が生じていることが発見された時点で直ちに外部の医療機関に転送したとしても,その後の経過を見る限り,大きな差はなかったとの見解が示されているものや,②東京拘置所の措置は,脳こうそくの患者に対して通常行われる手順に従っており,全般的に妥当なものであるとの見解が示されているものがある。
 2 本件は,Xが被上告人に対し,東京拘置所の職員である医師は,上告人に脳こうそくの適切な治療を受ける機会を与えるために,速やかに外部の医療機関に転送すべき義務があったにもかかわらず,これを怠り,Xに適切な治療を受ける機会を失わせたなどと主張して,国家賠償法1条1項に基づいて,慰謝料等を請求する事案である。
 3 勾留されている患者の診療に当たった拘置所の職員である医師が,過失により患者を適時に外部の適切な医療機関へ転送すべき義務を怠った場合において,適時に適切な医療機関への転送が行われ,同病院において適切な医療行為を受けていたならば,患者に重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存在が証明されるときは,国は,患者が上記可能性を侵害されたことによって被った損害について国家賠償責任を負うものと解するのが相当である(最高裁平成9年(オ)第42号同12年9月22日第二小法廷判決・民集54巻7号2574頁,最高裁平成14年(受)第1257号同15年11月11日第三小法廷判決・民集57巻10号1466頁参照)。 
前記事実関係によれば,(1)第1回CT撮影が行われた4月1日午前9時3分の時点では,Xには,血栓溶解療法の適応がなかった,(2)それより前の時点においては,Xには,血栓溶解療法の適応があった可能性があるが,血栓溶解療法の適応があった間に,Xを外部の医療機関に転送して,転送先の医療機関において血栓溶解療法を開始することが可能であったとは認め難い,(3)東京拘置所においては,Xの症状に対応した治療が行われており,そのほかに,Xを速やかに外部の医療機関に転送したとしても,Xの後遺症の程度が軽減されたというべき事情は認められないのであるから,Xについて,速やかに外部の医療機関への転送が行われ,転送先の医療機関において医療行為を受けていたならば,上告人に重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存在が証明されたということはできない。そして,本件においては,Xに重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存在が証明されたということができない以上,東京拘置所の職員である医師がXを外部の医療機関に転送すべき義務を怠ったことを理由とする国家賠償請求は,理由がない。
なお,東京拘置所の医師が外部の医療機関に転送しないで上告人に対して行った診療は「生命の尊厳を脅かすような粗雑診療」であるから国家賠償責任がある旨の上告人の主張は,前記事実関係によれば,東京拘置所の医師はXに対して所要の治療を行っており,その診療が「生命の尊厳を脅かすような粗雑診療」であるということはできないから,前提を欠き,採用することができない。
 以上と同旨の原審の判断は,正当として是認することができる。論旨は採用することができない。
 よって,裁判官横尾和子,同泉徳治の反対意見があるほか,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官島田仁郎,同才口千晴の各補足意見がある。
 

 裁判官島田仁郎の補足意見は,次のとおりである。
 私は法廷意見に賛同するものであるが,詳細な反対意見が付されたことにかんがみ,以下に私の見解を補足して述べておくこととしたい。
 最高裁平成12年9月22日第二小法廷判決及び同15年11月11日第三小法廷判決は,医師の過失と患者の死亡又は重大な後遺症との間に因果関係の存在が証明されなくても,「患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性」又は「患者に重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性」の存在が証明されたときは,医師はその損害を賠償すべき不法行為責任を負うとしたものである。ここで不法行為法上の保護法益として考慮の対象とされたのは,なお維持できたであろう患者の生命又は重大な後遺症が残らなかったであろう患者の身体である。医師の不法行為責任を問うには医師の過失と患者の生命身体に受けた損害との間の因果関係の存在が必要であるところ,それに代えてこのような「相当程度の可能性の存在」があれば足りるとすることによって医療過誤訴訟における患者側の立証の困難を緩和するとともに,「相当程度の可能性の存在」を要件とすることによって,発生した結果との間の因果関係が立証されなくても損害賠償責任が認められる場合を合理的な範囲に画したものと理解される。
 上記各判例が「相当程度の可能性の存在」が証明されなかった場合の医師の損害賠償責任の有無に触れていないのは,反対意見の指摘するとおりである。しかし,各判例は上記のとおり保護法益として患者の生命身体を念頭に置いた上で死亡又は後遺症との間の因果関係がなくても「相当程度の可能性の存在」が証明されれば足りるとしているのであるから,「相当程度の可能性の存在」を因果関係の存在に代わる要件であるとしているのは明らかである。法廷意見が上記第三小法廷の判決を引用して本件の結論を導いたのは,以上のような理由による。
 もっとも,反対意見のいうように,本件における不法行為法上の保護法益を,重大な後遺症を受けた患者の身体ではなく,「適時に適切な医療機関へ転送され,同医療機関において適切な検査,治療等の医療行為を受ける」こと自体に対する患者の利益であると解する余地はある。そのように解した場合には,転送して適切な医療行為を受けたなら重大な後遺症が残らなかった「相当程度の可能性」の有無は,過失の有無・程度を判断する上で考慮すべき重要な要素とはなっても,賠償責任を認めるための要件とはならないといえよう。
 そこで次に,本件の保護法益を上記のように解した場合について私の意見を敷衍すると以下のとおりである。適時に適切な医療行為を受けること,そのために適時に適切な医療機関へ転送されることは,誰もが願う基本的な利益であり,それが実現されることが望ましいことはいうまでもない。私は,検査,治療が現在の医療水準に照らしてあまりにも不適切不十分なものであった場合には,仮にそれにより生命身体の侵害という結果は発生しなかったとしても,あるいは結果は発生したが因果関係が立証されなかったとしても,適切十分な検査,治療を受けること自体に対する患者の利益が侵害されたことを理由として損害賠償責任を認めるべき場合があることを認めるにやぶさかではない。しかし,医師,医療機関といえどもすべてが万全なものではなく,多種多様な現実的な制約から適切十分な医療の恩恵に浴することが難しいことも事実として認めざるを得ない。ある程度の不適切不十分は,社会生活上許容の範囲内として認めるべきであろう。したがって,結果発生との因果関係が証明された場合はともかく,その証明がなく,上記のような「相当程度の可能性の存在」すら証明されない場合に,なお医師に過失責任を負わせるのは,著しく不適切不十分な場合に限るべきであろう。どの程度まで不適切であり不十分であったなら,患者の利益が不法に侵害されたものとして法的に保護されるべきであるかは,非常に微妙で難しい問題であり,意見が分かれやすいところである。この点は,相互の信頼関係を基盤として成り立つ弁護士,税理士,教師等の仕事において,適切十分な弁護,指導等を受ける依頼者,生徒等の利益をどの程度まで保護すべきであるかということと共通する極めて広がりの大きい問題でもある。私は,この種の事件に関して保護法益を柔軟かつ弾力的に広げて解することについて反対するものではないが,それによって発生した結果との因果関係が立証されないか結果が発生しない場合までも過失責任を認めることになるので,それが不当に広がり過ぎないように,法益侵害の有無については厳格に解さなければならないと考える。したがって,かかる保護法益が侵害されたというためには,単に不適切不十分な点があったというだけでは足りず,それが果たして法的に見て不法行為として過失責任を問われねばならないほどに著しく不適切不十分なものであったというべきかどうかについて,個々の事案ごとに十分慎重に判断する必要がある。本件の事実関係により東京拘置所の医師らが執った措置を全体的に通観すれば,決して万全であったとはいえないが,拘置所の医師らは彼らに義務として要求される最低限のことは尽くしていたといえよう。反対意見は,4月1日午前8時30分ころには上告人が急性期の脳卒中患者であることを認識していたか,少なくとも認識し得たものというべきであるから,医師らは速やかに上告人を適切な医療機関へ転送すべき義務があったのに,これを怠ったのであるから過失があり,上告人が転送されなかったことで受けた精神的損害を賠償する責任があるという。しかし,拘置所の職員が上告人の異常に気が付いたのは日曜日である1日の朝7時30分過ぎのことであり,それからわずか1時間位しか経過せず,未だ病状を観察する暇も十分ではなくCT撮影もできていないこの段階では,医師らとしては,せいぜいICUに収容して応急の措置を執ることで精一杯であったとしても不思議ではない。拘置所が翌2日の昼に適切な病院への転送を試みた際にも初めの2か所からは受入れを断られたという経緯に照らしても,日曜日の朝早く拘置所に収容されている者についてCT撮影による確認もしていない段階で受入れ方を依頼したとしても早急に適切な受入れ機関が見つかったかどうかも疑問であり,その時点で早々に他の医療機関への転送の手続をしようという判断に至らなかったとしても,現実の処理の問題としては無理からぬことであったといえよう。そして,拘置所において執られた措置は,CT撮影,グリセオールや感染防止薬の投与,気管切開等脳こうそくの患者に対して通常行われる手順に従っており,全般的に妥当なものであったとの専門医の見解は,医学に疎い吾人にとっても相当なものとして納得できるものである。しかも本件は,発症後の経過時間から考えて発見後可及的速やかに転送されたとしても後遺症の程度が軽減されたとは認められない事案である。転送されていたならば後遺症を免れ,あるいは軽減されたであろうという事案に比べれば,転送されなかったこと自体の精神的損害もそれほど大きいものとはいえない。以上の点を総合考慮すれば,医師らがもっと早くに転送をしなかったことが上告人にとって不適切不十分な措置であったとはいえても,法的にみてそれが不法行為として過失責任を問われねばならないほど程度の著しいものであったとは到底思われないのである。
 したがって,上告人の保護法益を,適切な医療機関に転送されて適切な医療行為を受けることができなかったことによって後遺症が生じたことを理由とする身体上の利益であると解しても,あるいは適切な医療機関に転送されて適切な医療行為を受ける利益自体であると解しても,拘置所の医師らの過失を理由とする国家賠償責任を認めることはできない。
 

 裁判官才口千晴の補足意見は,次のとおりである。
 私は,法廷意見に賛同するものであるが,反対意見を踏まえ,補足して意見を述べる。
 法廷意見の判断は,判決書記載のとおりであり,その理由と論理構成は,島田裁判官が補足意見において詳細に述べられているとおりである。
 医療過誤訴訟における不法行為ないしは債務不履行は,医師の専門性や独占性,患者の依存性や医療法制等から一般の不法行為ないしは債務不履行とは異なる特殊性を有するところであるから,法廷意見は,最高裁平成15年11月11日第三小法廷判決を踏まえて,「本件においては,上告人に重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存在が証明されたということができない以上,東京拘置所の職員である医師らが上告人を外部の医療機関に転送すべき義務を怠ったことを理由とする国家賠償請求は,理由がない。」との結論を導いたものである。
 上記判決は,「患者に重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存在」を要件とすることによって,損害賠償責任が認められる範囲を合理的な範囲に画したものと理解すべきものである。同判決が「相当程度の可能性の存在」が証明されなかった場合の医師の損害賠償の有無について触れていないことは,反対意見の指摘するとおりであるが,そうであるからといって,本件における保護法益を,重大な後遺症が残った患者の身体ではなく,「患者が適時に適切な医療機関へ転送され,同医療機関において適切な検査,治療等を受ける利益」とし,その利益を侵害されたことを理由として損害賠償責任を認める反対意見には,同調することができない。
 そもそも,反対意見は,実定法に定めのない「期待権」という抽象的な権利の侵害につき,不法行為による損害賠償を認めるものであるから,医師が患者の期待権を侵害すれば過失があるとされて直ちに損害賠償責任が認められ,賠償が認められる範囲があまりに拡大されることになる。また,医師について「患者が適時に適切な医療機関へ転送され,同医療機関において適切な検査,治療等の医療行為を受ける利益を侵害されたこと」を理由として損害賠償を認めることは,医療全般のみならず,専門的かつ独占的な職種である教師,捜査官,弁護士などについても,適切な教育,捜査,弁護を受ける利益の侵害などを理由として損害賠償責任を認めることにつながり,責任が認められる範囲が限りなく広がるおそれがある。そして,反対意見は,本件事実関係につき,拘置所の職員が上告人の異常に気づいた日曜日である4月1日の午前7時30分過ぎからわずか1時間後の午前8時30分ころには上告人が急性期の脳卒中患者であることを認識していたか,少なくとも認識し得たものであるというべきであるから,医師らは速やかに上告人を適切な医療機関へ転送すべき義務があったのに,これを怠ったので,医師らに過失があり,上告人が転送されなかったことで受けた精神的損害を賠償する責任があるとし,上告人に重大な後遺症が残らなかった「相当程度の可能性の存在」の証明いかんにかかわらず過失責任を認めるものである。これは前記第三小法廷判決の判旨に反する判断であり,反対意見は,判例変更を示唆するものである。
 また,反対意見は,最高裁平成12年2月29日第三小法廷判決,同13年11月27日同小法廷判決,同14年9月24日同小法廷判決等を引用し,「患者が適時に適切な検査,治療等の医療行為を受ける利益」は,上記各判例で不法行為法において法的保護に値する利益であると既に認めているものと比較しても,保護すべき程度において,勝るとも劣らないものであり,不法行為法上の保護利益に該当するという。しかし,上記各判例が保護利益として認めているのは,輸血を伴う手術を受けるか否かについての意思決定権,乳がんの治療方法の選択について熟慮判断の機会を与えられる利益,あるいはがんの患者が家族への病状の適時の告知によって受ける利益等の別個の保護利益であって,本件で問題になっている適切な治療等の医療行為を受ける保護利益とは本質的に異なるものである。
 本件は,医療過誤の損害賠償について,可能性侵害の法理を確立した最高裁平成12年9月22日第二小法廷判決・民集54巻7号2574頁を確認し,患者に重大な後遺障害が残ったケースに同法理の射程を広げた前記平成15年11月11日第三小法廷判決の判旨に沿って処理するのが相当である。
 もっとも,医師の検査,治療等が医療行為の名に値しないような例外的な場合には,「適切な検査,治療等の医療行為を受ける利益を侵害されたこと」を理由として損害賠償責任を認める余地がないとはいえないが,本件の事実関係によれば,東京拘置所の医師らは,上告人をICUに収容して所要の治療を行っており,上告人につき東京拘置所で執られた一連の診療措置は,脳こうそくの患者に対し通常行われる手順に従っており,全般的に妥当なものであったと評価できるから,本件が,前記の例外的な場合には当たらないことは明らかである。
 以上の次第で,私は,拘置所の医師らの過失を理由とする国家賠償責任を認めることができないとする法廷意見に賛同するものである。
 
 
 
相当程度の可能性の証明がなされていないとして患者側の請求を否定した判決ですが、詳しい補足意見が付されており、参考になります。