【事案の概要】
(1) Aは昭和43年生まれの女性であり,Yは開業医である。
(2) Aは,平成11年6月30日,食事中に喉が詰まる感じがし,嘔吐をすることもあるなどの症状を訴えて,Yの診察を受けた。
(3) Yは,同年7月17日にAを診察した後,同月24日に胃内視鏡検査(以下「本件検査」という。)を実施した。
本件検査においては,Aの胃の内部に大量の食物残渣があったため,その内部を十分に観察することはできなかった。もっとも,本件検査の結果によれば,幽門部及び十二指腸には通過障害がないことが示されており,胃潰瘍,十二指腸潰瘍又は幽門部胃癌による幽門狭窄は否定されるものであったから,胃の内部に大量の食物残渣が存在すること自体が異常をうかがわせる所見であり,当時の医療水準によれば,この場合,再度胃内視鏡検査を実施すべきであった。
しかしながら,Yは,本件検査が上記のとおり不十分なものであり,また,異常をうかがわせる所見もあったにもかかわらず,再検査を実施しようとはせず,Aの症状を慢性胃炎と診断した。
(4) Aは,同年10月7日,Dセンター(以下「Dセンター」という。)で診察を受け,同月15日に胃透視検査,同月19日に胃CT検査,同月21日に胃内視鏡検査等の各種検査を受け,その結果,スキルス胃癌と診断された。当時のAは,胃壁全体の硬化が認められ,また,腹水もあり,癌の腹膜への転移が疑われた。
(5) Aは,同月22日にDセンターに入院し,化学療法を中心とする治療を受けたが,同年11月には骨への転移が確認され,平成12年2月4日に死亡した。
(6) Yによる本件検査当時,Aは既にスキルス胃癌に罹患しており,Yが,その直後に厳重な禁食処置をした上での再検査を行っていれば,その発見は,十分可能であった。しかしながら,AがDセンターを受診した際には,既に腹水があり,腹膜への転移が疑われ,平成11年11月には骨への転移が確認されたことなどから,本件検査時点においても,既に顕微鏡レベルでは転移が存在したことが推認され,仮に,本件検査時にスキルス胃癌の診断がされ,適切な治療が行われていたとしても,Aの死亡を回避することはできなかった。
(7) もっとも,本件検査が行われた同年7月の時点でAのスキルス胃癌が発見されていれば,上記時点における病状及び当時の医療水準に応じた化学療法が直ちに実施され,これが奏功することにより,Aの延命の可能性があった。
(1) Aは昭和43年生まれの女性であり,Yは開業医である。
(2) Aは,平成11年6月30日,食事中に喉が詰まる感じがし,嘔吐をすることもあるなどの症状を訴えて,Yの診察を受けた。
(3) Yは,同年7月17日にAを診察した後,同月24日に胃内視鏡検査(以下「本件検査」という。)を実施した。
本件検査においては,Aの胃の内部に大量の食物残渣があったため,その内部を十分に観察することはできなかった。もっとも,本件検査の結果によれば,幽門部及び十二指腸には通過障害がないことが示されており,胃潰瘍,十二指腸潰瘍又は幽門部胃癌による幽門狭窄は否定されるものであったから,胃の内部に大量の食物残渣が存在すること自体が異常をうかがわせる所見であり,当時の医療水準によれば,この場合,再度胃内視鏡検査を実施すべきであった。
しかしながら,Yは,本件検査が上記のとおり不十分なものであり,また,異常をうかがわせる所見もあったにもかかわらず,再検査を実施しようとはせず,Aの症状を慢性胃炎と診断した。
(4) Aは,同年10月7日,Dセンター(以下「Dセンター」という。)で診察を受け,同月15日に胃透視検査,同月19日に胃CT検査,同月21日に胃内視鏡検査等の各種検査を受け,その結果,スキルス胃癌と診断された。当時のAは,胃壁全体の硬化が認められ,また,腹水もあり,癌の腹膜への転移が疑われた。
(5) Aは,同月22日にDセンターに入院し,化学療法を中心とする治療を受けたが,同年11月には骨への転移が確認され,平成12年2月4日に死亡した。
(6) Yによる本件検査当時,Aは既にスキルス胃癌に罹患しており,Yが,その直後に厳重な禁食処置をした上での再検査を行っていれば,その発見は,十分可能であった。しかしながら,AがDセンターを受診した際には,既に腹水があり,腹膜への転移が疑われ,平成11年11月には骨への転移が確認されたことなどから,本件検査時点においても,既に顕微鏡レベルでは転移が存在したことが推認され,仮に,本件検査時にスキルス胃癌の診断がされ,適切な治療が行われていたとしても,Aの死亡を回避することはできなかった。
(7) もっとも,本件検査が行われた同年7月の時点でAのスキルス胃癌が発見されていれば,上記時点における病状及び当時の医療水準に応じた化学療法が直ちに実施され,これが奏功することにより,Aの延命の可能性があった。
Aの相続人であるXらが,Yに対し,診療契約上の債務不履行に基づき,Yが適切な検査をしなかったためスキルス胃癌の発見が遅れ,これによりAが死亡し,又はAがその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性を侵害されたと主張して,これによって被った損害の賠償を求めて訴訟提起。
【原判決】 請求棄却
(1) Yには,本件検査当時,Aに対し,近い期日に厳重な禁食処置の上,再度胃内視鏡検査を行うべき診療契約上の義務があったにもかかわらず,必要な再検査を実施しなかった過失がある。
(2) 本件検査当時にAに対し直ちに適切な治療が行われていたとしても,Aの死亡の結果は回避できなかったから,Yの過失とAの死亡との間に因果関係を認めることはできない。
(3) 仮に,本件検査時点でスキルス胃癌との診断がされ,これに対する化学療法が行われていたとしても,Aがその死亡の時点においてなお生存していた「相当程度の可能性」があったとまではいえない。
(2) 本件検査当時にAに対し直ちに適切な治療が行われていたとしても,Aの死亡の結果は回避できなかったから,Yの過失とAの死亡との間に因果関係を認めることはできない。
(3) 仮に,本件検査時点でスキルス胃癌との診断がされ,これに対する化学療法が行われていたとしても,Aがその死亡の時点においてなお生存していた「相当程度の可能性」があったとまではいえない。
【本判決】 破棄差し戻し
(1) 医師に医療水準にかなった医療を行わなかった過失がある場合において,その過失と患者の死亡との間の因果関係の存在は証明されないが,上記医療が行われていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときには,医師は,患者が上記可能性を侵害されたことによって被った損害を賠償すべき不法行為責任を負うものと解すべきである(最高裁平成9年(オ)第42号同12年9月22日第二小法廷判決・民集54巻7号2574頁参照)。
このことは,診療契約上の債務不履行責任についても同様に解される。すなわち,医師に適時に適切な検査を行うべき診療契約上の義務を怠った過失があり,その結果患者が早期に適切な医療行為を受けることができなかった場合において,上記検査義務を怠った医師の過失と患者の死亡との間の因果関係の存在は証明されなくとも,適時に適切な検査を行うことによって病変が発見され,当該病変に対して早期に適切な治療等の医療行為が行われていたならば,患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときには,医師は,患者が上記可能性を侵害されたことによって被った損害を賠償すべき診療契約上の債務不履行責任を負うものと解するのが相当である。
(2) 本件についてこれをみると,前記事実関係によれば,平成11年7月の時点においてYが適切な再検査を行っていれば,Aのスキルス胃癌を発見することが十分に可能であり,これが発見されていれば,上記時点における病状及び当時の医療水準に応じた化学療法が直ちに実施され,これが奏功することにより,Aの延命の可能性があったことが明らかである。そして,本件においては,Yが実施すべき上記再検査を行わなかったため,上記時点におけるAの病状は不明であるが,病状が進行した後に治療を開始するよりも,疾病に対する治療の開始が早期であればあるほど良好な治療効果を得ることができるのが通常であり,Aのスキルス胃癌に対する治療が実際に開始される約3か月前である上記時点で,その時点における病状及び当時の医療水準に応じた化学療法を始めとする適切な治療が開始されていれば,特段の事情がない限り,甲が実際に受けた治療よりも良好な治療効果が得られたものと認めるのが合理的である。
(1) 医師に医療水準にかなった医療を行わなかった過失がある場合において,その過失と患者の死亡との間の因果関係の存在は証明されないが,上記医療が行われていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときには,医師は,患者が上記可能性を侵害されたことによって被った損害を賠償すべき不法行為責任を負うものと解すべきである(最高裁平成9年(オ)第42号同12年9月22日第二小法廷判決・民集54巻7号2574頁参照)。
このことは,診療契約上の債務不履行責任についても同様に解される。すなわち,医師に適時に適切な検査を行うべき診療契約上の義務を怠った過失があり,その結果患者が早期に適切な医療行為を受けることができなかった場合において,上記検査義務を怠った医師の過失と患者の死亡との間の因果関係の存在は証明されなくとも,適時に適切な検査を行うことによって病変が発見され,当該病変に対して早期に適切な治療等の医療行為が行われていたならば,患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときには,医師は,患者が上記可能性を侵害されたことによって被った損害を賠償すべき診療契約上の債務不履行責任を負うものと解するのが相当である。
(2) 本件についてこれをみると,前記事実関係によれば,平成11年7月の時点においてYが適切な再検査を行っていれば,Aのスキルス胃癌を発見することが十分に可能であり,これが発見されていれば,上記時点における病状及び当時の医療水準に応じた化学療法が直ちに実施され,これが奏功することにより,Aの延命の可能性があったことが明らかである。そして,本件においては,Yが実施すべき上記再検査を行わなかったため,上記時点におけるAの病状は不明であるが,病状が進行した後に治療を開始するよりも,疾病に対する治療の開始が早期であればあるほど良好な治療効果を得ることができるのが通常であり,Aのスキルス胃癌に対する治療が実際に開始される約3か月前である上記時点で,その時点における病状及び当時の医療水準に応じた化学療法を始めとする適切な治療が開始されていれば,特段の事情がない限り,甲が実際に受けた治療よりも良好な治療効果が得られたものと認めるのが合理的である。
これらの諸点にかんがみると,Aの病状等に照らして化学療法等が奏功する可能性がなかったというのであればともかく,そのような事情の存在がうかがわれない本件では,上記時点でAのスキルス胃癌が発見され,適時に適切な治療が開始されていれば,Aが死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性があったものというべきである。
そうすると,本件においては,Aがその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性が認められるから,これを否定した原審の判断には,法令の解釈適用を誤った違法があるというべきである。
医師に医療水準にかなった医療を行わなかった過失がある場合において、その過失と患者の死亡との間の因果関係の存在は証明されなけれども、上記医療が行われていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときには、医師は,患者が上記可能性を侵害されたことによって被った損害を賠償すべき責任を負うものと解すべきとする考え方は、既に最高裁平成12年9月22日判決で示されていますが、本判決は、この考え方に基づき、「相当程度の可能性」があったと判断して医師の責任を認めたものです。