【事案の概要】
昭和48年9月20日、Xの母親(以下、「母親」という)は、出産のためYの経営する産婦人科医院に入院し、翌21日、Xを未熟児の状態で出産した。母親は、長男、長女もともにYの医院で出産したが、この二人のどちらにも黄疸が出たこと、Xは3人目で、この場合は黄疸が強くなると児が死ぬかもしれないと他人から聞かされ、母子手帳にも血液型の不適合と新生児の重症黄疸に関する記載があったことなどからXに黄疸が出ることを不安に思い、母親はYにXの血液型検査を依頼した。YはXの血液型の検査を行い、母親と同じO型と判定して伝えたが、この判定は誤りで、実際にはXの血液型はA型であった。Xの黄疸は、同年9月25日ころから肉眼で認められるようになった。この黄疸についてのYの母親らに対する説明は、Xには血液型不適合はなく黄疸が遷延するのは未熟児だからであり心配はない、と理解される内容のものであった。Yは、同年9月30日、Xを退院させた。右退院に際して、Yは母親に対して、何か変わったことがあったらすぐにYあるいは近所の小児科の診察を受けるようにというだけの注意を与えた。Xは同年10月3日ころから黄疸の増強と哺乳力の減退が認められ、活発でなくなってきたが、Xを病院に連れて行ったのは同月8日になってからであった。その病院で核黄疸の疑いと診断されて交換輸血が実施されたが、既に手遅れの状態であり、Xは核黄疸の後遺症として脳性麻痺になり、寝たきりの状態である。Xの両親がYに対して損害賠償請求訴訟を提起。

【前提となる知識】
核黄疸は、間接ビリルビンが新生児の主として大脳基底核等の中枢神経細胞に付着して黄染した状態をいい、神経細胞の代謝を阻害するため死に至る危険が大きく、救命されても不可逆的な脳損傷を受けるため治癒不能の脳性麻痺等の後遺症を残す疾患である。核黄疸の発生原因としては、血液型不適合による新生児溶血性疾患と特発性高ビリルビン血症とがあるが、いずれも血液中の間接ビリルビンが増加することによって核黄疸になるものである。
核黄疸の臨床症状は、その程度によって第一期(筋緊張の低下、吸啜反射の減弱、嗜眠、哺乳力の減退等)、第二期(けいれん、筋強直、後弓反射、発熱等)、第三期(中枢神経症状の消退期)、第四期(恒久的な脳中枢神経障害の発現)の四期に分類されるのが一般であり(プラハの分類)、また、核黄疸の予防及び治療方法としては、交換輸血の実施が最も根本的かつ確実なものであるが、この交換輸血は右の第一期の間に行う必要がある。このような核黄疸についての予防及び治療方法は、Xの出生した昭和四八年当時も現在も変わらない。

【原判決】 Xの請求を棄却
Xにプラハの分類による第一期症状が出始めたのは、退院の3日後である昭和48年10月3日ころであり、同月8日には既に第二期の症状を示していた。Xの核黄疸は、原因は不明であるがYの医院を退院した時に存在していた黄疸が遷延していたところに、退院後に発生した感染症を基礎疾患とする哺乳力低下、脱水が加わり、黄疸が急速に増強したことにより生じたものであると認定し、退院までのXの黄疸は軽度であり、交換輸血の適応時機ではなかったから、Yには交換輸血を自ら実施し、あるいはこれを実施できる他の医療機関への転医の措置を執るべき注意義務はなく、また、Xは未熟児であったが、黄疸の症状は軽度で、一般状態は良かったことが確認されているから、YがXを退院させたことに注意義務違反はなかったと判断した上、Xが退院する際のYの措置に関して、次のように判示した。すなわち、新生児特に未熟児の場合は、核黄疸に限らず様々な致命的疾患に侵される危険を常に有しており、医師が新生児の看護者にそれら全部につき専門的な知識を与えることは不可能というべきところ、新生児がこのような疾患に罹患すれば普通食欲の不振等が現れ全身状態が悪くなるのであるから、退院時において特に核黄疸の危険性について注意を喚起し、退院後の療養方法について詳細な説明、指導をするまでの必要はなく、新生児の全身状態に注意し、何かあれば来院するか他の医師の診察を受けるよう指導すれば足りるというべきところ、Yは、Xの退院に際し、母親に対して、何か変わったことがあったらすぐにYあるいは近所の小児科医の診察を受けるよう注意を与えているのであるから、退院時のYの措置に過失はない。

【本判決】 破棄差し戻し
三 しかしながら、退院時のYの措置に関する原審の右判断は、是認することができない。その理由は、次のとおりである。
 人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のために実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるのであるが、右注意義務の基準となるべきものは、一般的には診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準であるというべきである。ところで、前記の事実に照らせば、新生児の疾患である核黄疸は、これに罹患すると死に至る危険が大きく、救命されても治癒不能の脳性麻痺等の後遺症を残すものであり、生後間もない新生児にとって最も注意を要する疾患の一つということができるが、核黄疸は、血液中の間接ビリルビンが増加することによって起こるものであり、間接ビリルビンの増加は、外形的症状としては黄疸の増強として現れるものであるから、新生児に黄疸が認められる場合には、それが生理的黄疸か、あるいは核黄疸の原因となり得るものかを見極めるために注意深く全身状態とその経過を観察し、必要に応じて母子間の血液型の検査、血清ビリルビン値の測定などを実施し、生理的黄疸とはいえない疑いがあるときは、観察をより一層慎重かつ頻繁にし、核黄疸についてのプラハの第一期症状が認められたら時機を逸することなく交換輸血実施の措置を執る必要があり、未熟児の場合には成熟児に比較して特に慎重な対応が必要であるが、このような核黄疸についての予防、治療方法は、Xが出生した当時既に臨床医学の実践における医療水準となっていたものである。
 そして、(一)母親は、Yの医院で順次出産した長男や長女にも黄疸が出た経緯があり、Xは3人目で、この場合は黄疸が強くなると児が死ぬかもしれないと他人から聞かされ、母子手帳にも血液型の不適合と新生児の重症黄疸に関する記載があったことから、第3子であるXに黄疸が出ることを不安に思っていた、(二)そのため母親は、YにXの血液型検査を依頼し、Yは、これに応じて血液型検査を行ったが、その判定を誤り、実際にはXの血液型はA型であったのに母親の血液型と同じO型であるとした、(三)体重2200グラムの未熟児で生まれたXには、生後4日を経た昭和48年9月25日ころから黄疸が認められるようになり母親らはこれに不安を抱いたが、Yは、Xには血液型不適合はなく黄疸が遷延するのは未熟児のためであり心配はない旨の説明をしていた、(四)Xの黄疸は同月30日の退院時にもなお残存していた上、Xの体重は退院時においても2100グラムしかなかったなどの事情があったことは、前述のとおりである。
そうすると本件においてXを同月30日の時点で退院させることが相当でなかったとは直ちにいい難いとしても、産婦人科の専門医であるYとしては、退院させることによって自らはXの黄疸を観察することができなくなるのであるから、Xを退院させるに当たって、これを看護する母親らに対し、黄疸が増強することがあり得ること、及び黄疸が増強して哺乳力の減退などの症状が現れたときは重篤な疾患に至る危険があることを説明し、黄疸症状を含む全身状態の観察に注意を払い、黄疸の増強や哺乳力の減退などの症状が現れたときは速やかに医師の診察を受けるよう指導すべき注意義務を負っていたというべきところ、Yは、Xの黄疸について特段の言及もしないまま、何か変わったことがあれば医師の診察を受けるようにとの一般的な注意を与えたのみで退院させているのであって、かかるYの措置は、不適切なものであったというほかはない。Yは、Xの黄疸を案じていた母親らに対し、Xには血液型不適合はなく黄疸が遷延するのは未熟児だからであり心配はない旨の説明をしているが、これによって母親らがXの黄疸を楽観視したことは容易に推測されるところであり、本件において、母親らが退院後Xの黄疸を案じながらも病院に連れて行くのが遅れたのはYの説明を信頼したからにほかならない・・。
そして、このような経過に照らせば、退院時におけるYの適切な説明、指導がなかったことが母親らの認識、判断を誤らせ、結果として受診の時期を遅らせて交換輸血の時機を失わせたものというべきである。
したがって、Yの退院時の措置に過失がなかったとした原審の判断は、是認し難いものといわざるを得ない。そして、Yの退院時の措置に過失があるとすれば、他に特段の事情のない限り、右措置の不適切とXの核黄疸罹患との間には相当因果関係が肯定されるべきこととなる筋合いである。原審の判断には、法令の解釈適用を誤った違法があるものといわざるを得ず、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。
論旨はこの趣旨をいうものとして理由があり、原判決は破棄を免れず、更に審理を尽くさせるため、原審に差し戻すこととする。

 

 

退院前に既にXに黄疸が認められていたのであり、核黄疸が死に至る危険のある疾患であること、退院によってXの黄疸を観察することができなくなることからすれば、退院にあたって主治医が一般的な説明をしただけでは足りないとした最高裁の判断は当然であったと思われます。 

医療事故

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