【事案の概要】
Aは金属プレス機のローラーに両手を挟まれて両手圧挫創の傷害を負い、Yの開設するB病院で形成手術を受け、入院した。手術翌日から一般的な抗生剤が投与されたが、細菌検査は行われず、右手に刺激臭を伴う黄緑色の浸出液が多量に認められた手術後13日目になって細菌検査のための採血が行われ、手術後18日目になって緑膿菌に感染していることが判明し、緑膿菌に対する感受性の強い抗生剤が投与され、一旦は緑膿菌感染の症状が消失したが、その後、何回か形成手術が施行され、4回目の手術直後に細菌感染を疑わせる症状が出現し、容体が急変し、Aは死亡した。両親XらがYに対して訴訟提起。
【原判決】
医師の細菌感染防止の注意義務違反を否定し、請求棄却。
【本判決】
破棄差し戻し
(1) 本件記録によれば、次の医学的知見がうかがわれる。
ア 外傷の治療において、開放創からの感染の防止がまず絶対に必要であり、外傷初期治療の原則である。
イ 傷治療の最終目的は、開放している創を閉じて一次的に治癒せしめることにあるが、創には異物や細菌の混入の危険が常にあることを考えると、創汚染を見落として放置したままいかに創をうまく閉じてみても無意味であるばかりでなく、むしろ創を悪化させることになる。被害を受けた組織は細菌にとって格好の生息培地となり、容易に創化のうという事態に連なるから、損傷を受けた組織の修復に先立って創を清浄化することが必要不可欠である。
ウ 手術の後2,3日間は、体温が1,2℃上昇するが、これは代謝系の反応によるもので、放置しても次第に正常な体温に回復する。もし手術創の感染が起きれば、さらに体温が上昇し、かつ長く持続する。
エ 緑のう菌は自然界に広く存在する常在菌の一種であり、その感染力は極めて弱く、健康者では表在部を除いて余り感染が起こらないが、免疫機能の低下した患者等などには、菌交代症や院内感染を起こしやすく、創傷感染では、普通局所の化のうをもたらすのみであるが、ときには血流に入って敗血症を起こすこともある。緑のう菌感染の治療には、抗生剤(抗菌剤)の投与が有効である。
(2) 上記の医学的知見によれば、重い外傷の治療を行う医師としては、創の細菌感染から重篤な細菌感染症に至る可能性を考慮に入れつつ、慎重に患者の容態ないし創の状態の変化を観察し、細菌感染が疑われたならば,細菌感染に対する適切な措置を講じて、重篤な細菌感染症に至ることを予防すべき注意義務を負うものといわなければならない。前記事実関係によれば、受傷時のAの創は、著しく汚染された状態であり、本件病院の医師が、8月17日に行われた緊急手術の終了時点で、細菌感染の懸念を有しており、翌18日に右手に多量の黄色のしん出液が認められ、抗生剤が投与されている状態の下で、緊急手術後1週間経過してもなお37℃から38℃を超える発熱が継続するなど細菌感染を疑わせる症状が出現しているにもかかわらず、緊急手術後13日目に当たる同月30日になって初めて創部の細菌検査を実施したというのであり、更にAの看護記録の同月27日の欄には、「何の熱か、感染?」との細菌感染を懸念する趣旨の記載があることがうかがわれることにもかんがみれば、本件病院の医師には、現実に細菌検査を行った同月30日より前の時点において、創の細菌感染を疑い、細菌感染の有無、感染細菌の特定及び抗生剤の感受性判定のための検査をし、その結果を踏まえて、感染細菌に対する感受性の強い適切な抗生物質の投与などの細菌感染症に対する予防措置を講ずべき注意義務があったものというべきである。そして,前記事実関係によれば、9月6日にいったん緑のう菌感染による症状が消失し、再び同月21日ころに現れた同様の症状も同月23日ころまでに消失しているが、本件記録によれば、Aの敗血症の原因となった緑のう菌感染は、同月26日の有茎植皮術において生じたとは考えにくく、抗生剤によって症状が抑えられていたものの8月に既に感染していた緑のう菌が耐性を持って再び活動し始めた可能性があることがうかがわれるのであって、本件において、本件病院の医師が、同月30日より前の時点において、創の細菌感染を疑い、細菌感染症による重篤な結果を回避すべく、前記の措置を講じていれば、Aが本件死亡時点においてなお生存していたがい然性を直ちに否定することはできないというべきである。
そうすると、前記事実関係の下において、8月30日まで細菌感染を疑わせるうみ状のものや刺激臭が現れていなかった事実をもって、本件病院の医師による細菌感染症に対する予防措置についての注意義務違反を否定した原審の認定判断には、本件病院の医師において、緑のう菌等の細菌感染を予見し、それに対応した適切な細菌感染症予防措置を講ずべきであった時期についての認定を誤り、ひいては法令の解釈適用を誤った違法があるといわざるを得ず,この違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。これと同旨をいう論旨は理由があり、その余の論旨について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。そして、本件については、本件病院の医師においてAの細菌感染を予見し得べきであった時期及びその予見に基づき重篤な細菌感染症を免れるために講ずべき予防措置並びにその予防措置が講じられていたならばAがその死亡時点においてなお生存していたがい然性の有無、程度等につき更に審理を尽くさせる必要があるから、本件を原審に差し戻すこととする。よって,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。
本判決は、外科手術後の細菌感染を予防すべき医師の注意義務について述べており、手術後に細菌感染症に罹患して亡くなった事案の検討にあたり、参考になります。