【事案の概要】
当時小学6年生だったAは、昭和63年9月27日ころから発熱し、同月29日、開業医であるB医師の診察を受け、薬の処方を受けたが改善せず、Aは同月30日もB医師の診察を受け、同年10月3日に来院するよう指示された。同月2日夜、Aは大量の嘔吐をし、翌3日、母親に付き添われてB医師の診察を受け、輸液の処置を受けたが、嘔吐の症状は改善されなかった。翌4日からはAは母親が呼びかけても返答しなくなった。AはB医院に来院したが意識混濁の状態であり、B医師はC病院宛の紹介状を作成してAの母親に渡し、Aは同日C病院に入院した。C医院の医師は急性脳症の可能性を強く疑い、治療を行ったが、Aの意識は回復せず、原因不明の急性脳症と診断された。Aは身体障害者等級1級と認定され、常時介護を要する状態にある。AはB医師が適時に総合医療機関に転送すべき義務を怠ったとして損害賠償請求訴訟を提起。
【原判決】
B医師の転送義務違反を否定し、早期転送によってAの後遺症を防止できたことについての相当程度の可能性も否定し、Aの請求を棄却。
【本判決】
「Bは、初診から5日目の昭和63年10月3日午後4時ころ以降の本件診療を開始する時点で、初診時の診断に基づく投薬により何らの症状の改善がみられず、同日午前中から700ccの点滴による輸液を実施したにもかかわらず、前日の夜からのAの嘔吐の症状が全く治まらないこと等から、それまでの自らの診断及びこれに基づく上記治療が適切なものではなかったことを認識することが可能であったものとみるべきであり、さらに、Bは、Aの容態等からみて上記治療が適切でないことの認識が可能であったのに、本件診療開始後も、午前と同様の点滴を、常時その容態を監視できない2階の処置室で実施したのであるが、その点滴中にも、Aの嘔吐の症状が治まらず、また、Aに軽度の意識障害等を疑わせる言動があり、これに不安を覚えた母親がBの診察をを求めるなどしたことからすると、Bとしては、その時点で、Aが、その病名は特定できないまでも、本件医院では検査及び治療の面で適切に対処することができない、急性脳症等を含む何らかの重大で緊急性のある病気にかかっている可能性が高いことをも認識することができたものとみるべきである。・・Bは、上記の事実関係の下においては、本件診療中、点滴を開始したものの、Aの嘔吐の症状が治まらず、Aに軽度の意識障害等を疑わせる言動があり、これに不安を覚えた母親から診察を求められた時点で、直ちにAを診断した上で、Aの上記一連の症状からうかがわれる急性脳症等を含む重大で緊急性のある病気に対しても適切に対処し得る、高度な医療機器による精密検査及び入院加療等が可能な医療機関へAを転送し、適切な治療を受けさせるべき義務があったものというべきであり、Bには、これを怠った過失があるといわざるを得ない。」
「医師が過失により医療水準にかなった医療を行わなかった場合には、その医療行為と患者の死亡との間の因果関係の存在は証明されないが、上記医療が行われていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明される場合には、医師に、患者が上記可能性を侵害されたことによって被った損害を賠償すべき不法行為責任を負うものと解すべきである。・・患者の診療に当たった医師に患者を適時に適切な医療機関へ転送すべき義務の違反があり、本件のように重大な後遺症が患者に残った場合においても、同様に解すべきである。すなわち、患者の医療に当たった医師が、過失により患者を適時に適切な医療機関へ転送すべき義務を怠った場合において、その転送義務に違反した行為と患者の上記重大な後遺症の残存との間の因果関係の存在は証明されなくとも、適時に適切な医療機関への転送が行われ、同医療機関において適切な検査、治療等の医療行為を受けていたならば、患者に上記重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存在が証明されるときは、医師は、患者が上記可能性を侵害されたことによって被った損害を賠償すべき不法行為責任を負うものと解するのが相当である。・・しかるに、原審は、・・急性脳症の予後が一般に重篤であって、統計上、完全回復率が22.2%であることなどを理由に、Bの転送義務違反とAの後遺障害との間の因果関係を否定し、早期転送によって上告人の後遺症を防止できたことについての相当程度の可能性もみとめることができないと判断したのであるが、上記の重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存否については、本来、転送すべき時点におけるAの具体的な症状に即して、転送先の病院で適切な検査、治療を受けた場合の可能性の程度を検討すべきものである上、原判決の引用する前記の統計によれば、昭和51年の統計では、生存者中、その63%には中枢神経後遺症が残ったが、残りの37%(死亡者を含めた全体の役23%)には中枢神経後遺症が残らなかったこと、昭和62年の統計では、完全回復をした者が全体の22.2%であり、残りの77.8%の数値の中には、Aのような重大な後遺症が残らなかった軽症の者も含まれていると考えられることからすると、これらの統計数値は、むしろ、上記の相当程度の可能性が存在することをうかがわせる事情というべきである。そうすると、原審の上記判断には、上記の相当程度の可能性の存否に関する法令の解釈適用を誤った違法があるというべきである。」
患者が重大で緊急性のある病気にかかっている可能性が高いことを認識できたのに、開業医が適時に、適切な検査、治療のできる医療機関への転送を行わなかった場合に開業医の過失を認め、また死亡事案だけでなく、重大な後遺症が残った事案についても、過失と結果との因果関係を証明できなくても、患者に重大な後遺症が残らなかった相当程度の可能性の存在が証明されるときに不法行為責任があるとした重要な判決です。