【事案の概要】
Aは昭和51年3月14日、風をひいて発熱等を訴え、同月17日からB医師の診療を受け、多種の薬剤の継続的投与を受けた。Aは同年4月5日に38度の熱を出し、同月7日には咳と両肩の痛みを訴え、同月10日には咳がひどかった。同月12日にはAの身体に発疹が現れ始めていたが、B医師はこれを見落とした。B医師は同月14日、Aの身体に発疹を認め、風疹、薬疹を疑い、薬剤の投与を中止し、他の病院に検査入院を勧めた。AはB医師の紹介で同日、C病院に入院しC医師から薬剤投与を受けた。同月16日、AはD病院に転院し、入院して検査を受けたところ、顆粒球減少症との診断を受けた。Aは顆粒球減少症(以下「本症」という)による敗血症を併発し、同月23日、死亡した。Aの相続人がBとCを相手に損害賠償請求訴訟を提起。
【原判決】
B医師の注意義務違反を一部認めたが、顆粒球減少症の発症との間の因果関係を否定。Cの過失も否定。
【本判決】
破棄差し戻し。
「訴訟上の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実の存在を是認し得る高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである。原審は、Bの4月5日または10日の時点における検査義務違反とAの本症発症との間の因果関係および同月12日の時点における経過観察義務違反とAの本症発症との間の因果関係をいずれも否定した。原審の右判断の根拠は、Aの本症が4月10日以後に投与されたネオマイゾンを起因剤として過反応性の中毒性機序により同月13日ないし14日朝に発症したという認定事実にある。しかしながら、本件においては、(1)Bが本症の副作用を有する多種の薬剤を薬4週間にわたりAに投与してきたこと、(2)遅くとも4月12日にはAに発疹が生じたこと、(3)遅くとも同月14日にはAに本症が発症していたことを裏付ける血液検査の結果があること、(4)本症の発症に伴い発疹を生ずることがあること、(5)Aに投与された薬剤の相互作用によっても本症が発症し得ること、などの原審認定事実によれば、「Aの本症の原因はBがAに投与した薬剤のうちの一つであること又はその複数の相互作用であること及びAは遅くとも発疹が生じた4月12日には本症を発症していたこと」が真実の高度の蓋然性をもって証明されたものというべきである(なお、Bが本症の副作用を有する多種の薬剤をAに長期間投与してきたという本件においては、右薬剤のうちの一つ又はその複数の相互作用が本症発症の原因であったという程度の事実を前提としてBらの注意義務違反の有無を判断することも、通常は可能であり、常に起因剤を厳密に特定する必要があるものではない)。」「本件鑑定は、Aの病状のすべてを合理的に説明し得ているものではなく、経験科学に属する医学の分野における一つの仮説を述べたにとどまり、医学研究の見地からはともかく、訴訟上の証明の見地からみれば起因剤及び発症日を認定する際の決定的な証拠資料ということはできない。そうすると、本件鑑定のみに依拠して、ネオマイゾンが唯一単独の起因剤でり、Aの本症発症日を4月13日から14日朝とした原審認定は、経験則に違反したものというべきである。」
「(1) Bのような開業医の役割は、風邪などの比較的軽度の病気の治療に当たるとともに、患者に重大な病気の可能性がある場合には高度な医療を施すことのできる診療機関に転医させることにあるのであって、開業医が、長期間にわたり毎日のように通院してきているのに病状が回復せずかえって悪化さえみられるような患者について右診療機関に転医させるべき疑いのある症候を見落とすということは、その職務上の使命の遂行に著しく欠けるところがあるものというべきである。(2) ところで、原審は、風疹による発疹と薬疹の識別は困難であり、起因剤であるネオマイゾンは一般的には投与量に係る中毒性機序により本症を発症させるところ4月12日までに成人通常使用量2日分が投与されたにすぎないから、仮にBがAに発疹が生じた4月12日に右発疹を確認したとしても、同日の時点においてBに本症発症を予見し、投薬を中止し、血液検査をすべき義務はないと判断した。(3) しかしながら、右(1)の見地に立って本件を見るのに、開業医が本症の副作用を有する多種の薬剤を長期間継続的に投与された患者について薬疹の可能性のある発疹を認めた場合においては、自院又は他の診療機関において患者が必要な検査、治療を速やかに受けることができるように相応の配慮をすべき義務があるというべきであり、Aの発疹が薬疹によるものである可能性は否定できず、本症の副作用を有する多種の薬剤を長期間継続的に投与されたものである以上はネオマイゾンによる中毒性機序のみを注意義務の判断の前提とすることも適当でないから、原審の確定した事実関係によっても、Bに本症発症を予見し、投薬を中止し、血液検査をすべき注意義務がないと速断した原審の右判断には、診療契約上の注意義務に関する法令の解釈適用を誤った違法があるといわざるを得ない」
本判決は、開業医の転医義務を認めた重要な判決ですが、医師の注意義務違反の有無を判断する前提となる事実を必ずしも厳密に特定する必要がないことを示した点でも注目すべき判決です。