【事案の概要】
Aは昭和58年10月に肝硬変に罹患しているとの診断を受け、同年11月4日から昭和61年7月19日までの間、771回にわたり、肝臓病の専門医であるY医師の診療を受けた。Aは肝細胞癌の発生する危険性の高い患者類型に属していたが、Y医師は、昭和61年7月5日に至るまで、Aに対し、肝細胞癌を早期に発見する上で有効とされていた定期兆候検査を実施せず、同日の検査の結果からも、Aに肝細胞癌は発生していないと判断した。Aは同月17日、急性腹症を発し、同月19日以降他の病院で診療を受けた結果、進行した肝細胞癌が発見されたが、既に処置の施しようのない状況であり、Aは、同月27日、肝細胞癌及び肝不全により死亡。Aの相続人であるXらは、Y医師がAについて適切に検査を実施し早期に肝細胞癌を発見してこれに対する治療を施すべき義務を負っていたが、これを怠ったとして損害賠償請求訴訟を提起。

【原判決】
Y医師は当時の医療水準に従い、少なくとも6ヶ月に1度は肝細胞癌の発生の有無につき兆候検査を実施すべき注意義務を負っていた、そして、右注意義務を尽くしていれば遅くとも昭和61年1月ころまでにはAにつき肝細胞癌を発見しうる高度の蓋然性があり、外科的切除術等をしていればある程度の延命効果が得られた可能性が認められるとしたが、いつの時点でどのような癌を発見することができたかという点などの事件の不確定要素に照らすと、どの程度の延命が期待できたかは確認できないとして、Y医師の注意義務違反とAの死亡との間の因果関係を否定した。

【本判決】
「訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである。」
「右は、医師が注意義務に従って行うべき診療行為を行わなかった不作為と患者の死亡との因果関係の存否の判断においても異なるところはなく、経験則に照らして統計資料その他の医学的知見に関するものを含む全証拠を総合的に検討し、医師の右不作為が患者の当該時点における死亡を招来したこと、換言すると、医師が注意義務を尽くして診療行為を行っていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していたであろうことを是認し得る高度の蓋然性が証明されれば、医師の右不作為と患者の死亡との間の因果関係は肯定されるものと解すべきである。患者が右時点の後いかほどの期間生存し得たかは、主に得べかりし利益その他の損害の額の算定に当たって考慮されるべき事由であり、前記因果関係の存否に関する判断を直ちに左右するものではない。」「Aの肝細胞癌が昭和61年1月に発見されていたならば、以後当時の医療水準に応じた通常の診療行為を受けることにより、同人は同年7月27日の時点でなお生存していたであろうことを是認しうる高度の蓋然性が認められる・・肝細胞癌に対する治療の有効性が認められないというのであればともかく、このような事情の存在しない本件においては、Yの前記注意義務違反とAの死亡との間には、因果関係が存在するものというべきである。」として破棄差し戻し。

本判決は、医師の不作為と患者の死亡との因果関係について、患者の「死亡」を「医師が注意義務を尽くして診療行為を行っていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していたであろうこと」として捉えることで、原告に因果関係の証明の軽減をもたらしたと評価されています。

 

医療事件

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